自らのプロパガンダ性を暴露してまで訴える“正義”の映画

Fire under the Snow
2008年,日本=アメリカ,75分
監督:楽真琴
撮影:ブラディミール・スボティッチ、リンク・マグワイア、楽真琴
音楽:アーロン・メンデス
出演:パルデン・ギャッツォ、ダライ・ラマ14世

 1959年のラサ蜂起に際して逮捕されたチベット僧のパルデン・ギャッツォは33年間に渡る囚人生活で幾多の拷問を経験し、多くの仲間の死を目にしてきた。現在はインドに亡命してチベット独立のための運動を続ける彼はアメリカやイタリアに渡って世界に訴えかける。
 中国のチベット弾圧の生き証人パルデン・ギャッツォの半生と現在の活動を追ったドキュメンタリー。監督はNY在住の日本人監督楽(ささ)真琴、これが初の長編作品になる。

 チベットにおける中国による人権侵害は、2008年の北京オリンピックに際して大きな問題となった。そしてその翌年2009年は1959年のラサ蜂起から50年という節目の年を迎え、その問題にさらに焦点が当てられることとなった。

 そしてこの映画の主人公パルデン・ギャッツォはその50年のうち33年間を囚人として過ごしたチベット僧である。しかも彼が刑務所に入れられた理由は簡単に言ってしまえばチベット独立を訴えたからである。しかもその間、度重なる拷問が行われ、周囲では仲間が次々と死んでいった。

 この映画はそのパルデン・ギャッツォが1996年のチベタン・フリーダム・コンサートで自分の拷問に使われた“電流棒”を示すところからはじまる。しかし彼はその悲惨な自分の状況を無表情に語り、舞台裏では満面の笑顔を浮かべる。衝撃的な事実と彼の魅力、それが冒頭にはっきりと示されて見るものは彼の人生にぐっと引き込まれる。

 このドキュメンタリーはパルデン・ギャッツォという魅力的な人物を通して「チベット解放」を訴える映画である。ドキュメンタリーには乱暴な言い方をすれば2つある。ストレートな主張をする映画と客観的に観察する映画である。ほとんどのドキュメンタリーはこの2極の間のどこかにあるといえるのだが、この作品は「主張をする映画」という極にほぼ一致する位置にある。

 その内容は今までなかなか私たちの目には触れることのなかったチベット弾圧の事実を白日のもとにさらすものであり、正義を主張するものである。虐げられているチベットの人たちに目を向けろと世界に訴えるそんな正義の映画だ。

 ただそのためには手段を選ばない。中国政府は徹底的な悪人に仕立て上げられ、IOCまでもそれに加担する“敵”のような描かれ方をする。作品の中にはパルデン・ギャッツォの平和だった子供時代を想起させるようなスチル写真や回想シーンじみた再現フィルムが挿入される。それは彼の少年時代そのものを記録したものでは決してないにもかかわらず、彼の半生を語る文脈の中で何の説明もなく使われる。

 中国政府が刑務所で行った暴力的な“洗脳”とはもちろん比べるべくもないが、一方的な情報を都合のいい創作まで加えて伝えるというのはプロパガンダへの道を開く。しかし、この作品はプロパガンダに陥るすれすれのところで踏みとどまっていると私は思う。それはこの創作部分が「明らかに」彼の少年時代そのものではないというところにある。明らかに事実そのものではない映像を挿入することで、自身のプロパガンダ性を明らかにしているのだ。

 世界を目覚めさせるには極端と言っていいほどの刺激が必要になることもある。この作品はあえてプロパガンダ的な要素を取り入れることで刺激を強め、見る者の無知を攻撃する。事実のような顔をしたドキュメンタリーが必ずしも客観的な視線を保っているとは限らないということを自ら暴露しながら、なおも主張し続ける。その主張は確かに力強い。

 ただその内容は決して暴力的ではないということも最後に言っておく必要があるかもしれない。パルデン・ギャッツォは本当に強い人間だが、あくまでも優しく慈愛に満ちている。彼の優しい笑顔こそがこの映画の最大の武器なのだ。

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