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2000    

25時

2007/6/18
25th Hour
2002年,アメリカ,136分

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          ★★★.5-  
     
 
 瀕死状態の犬を助けたドラッグ・ディーラーのモンティ、今はその犬を連れて川辺に座る。そこにドラッグを買いたいという男が現れるが、彼は「パクられたから」といってそれを断る。その後、彼は犬を連れて出身高校に向かう。彼は実は翌日刑務所に収監されることが決まっていたのだ…
  スパイク・リーがじっくり描いた人間ドラマ。ニューヨークの裏社会を描いてはいるが、黒人映画を脱しより普遍的なドラマへと踏み出している。
監督 スパイク・リー
原作 デイヴィッド・ベニオフ
脚本 デイヴィッド・ベニオフ
撮影 ロドリゴ・プリエト
音楽 テレンス・ブランチャード

出演 エドワード・ノートン
     フィリップ・シーモア・ホフマン
     バリー・ペッパー
     ロザリオ・ドーソン
     アンナ・パキン
     ブライアン・コックス

 

 

 

 

 

 エドワード・ノートン演じるモンティが父親と最後の食事をステーキハウスで取るシーン、トイレに立ったモンティはそのトイレの鏡に書かれた“Fuck you”という言葉に触発されて、韓国人、ロシア人、イタリア人、プエルトルコ人、黒人に次々と恨み言を述べる。鏡に写った彼が大きな身振りでわめき続けているのに対し、鏡の前の彼はほとんど微動だにしないというのも印象的なシーンだが、この人種のモザイクにはスパイク・リーらしさが現れてもいる。
  スパイク・リーはデビューからずっと“黒人映画”をとり続けていた。それはもちろん黒人が社会的に差別されているからであり、映画界においても黒人の制作者など皆無だったからだ。その中で、黒人が監督し、黒人が出演し、黒人が製作する本当の“黒人映画”を撮ることは社会的に意味があったし、彼はそれによって人々の支持を得た。
  しかし、彼が映画を撮り続けた十数年の間に時代は変わり、差別の問題は白人対黒人という単純な図式から、マジョリティ対マイノリティ、そしてマイノリティ内差別という複雑な図式に変化して行った。黒人は差別されると同時にヒスパニックやアジア系移民を差別する側にも回り、“黒人”であることをことさらに主張するだけでは社会を的確に捉えられなくなった。
  そこで彼は、様々な人種の関係性を描きながら、それぞれの心情を表現するためにこの題材を選んだのだろう。主人公のモンティはアイルランド系のいわゆるプア・ホワイトであり、幼馴染で親友のフランクはそこから這い上がって株のディーラーとして成功、もう一人のジェイコブははユダヤの金持ちだが、それを恥じる。恋人のナチュレルはプエルトリカンで、相棒のコースチャはロシア人だ。そして彼はロシア系のマフィアと仕事をし、黒人の麻薬取締官に尋問される。
  そこには複雑な人間関係があり、同時に複雑な人種関係がある。そして人種という関係が存在すると、ひとはそれぞれの個人よりも“人種”というわかりやすいグループを見がちなのだ。それがモンティのこのトイレでの繰言に表れている。彼は“人種”というものに還元してしまうと、自分の周囲の人々の“個”が消えてしまうことを認識している。にもかかわらず、そう言わずにはいられないのだ。そう言うことによって物事を単純化したいという欲求に抗えないのだ。
  それは彼にかかわらず、そしてニューヨークにかかわらず、われわれにもある欲求のはずだ。人々をカテゴライズして、整理することで単純化する。複雑な人間関係に複雑なまま対処する困難から逃れるのには非常に有効な手段だが、そのレッテル張りから様々な差別が生まれ、軋轢が生まれ、衝突が生まれる。
  黒人と白人の衝突を描き、それが単純すぎることに気づいたスパイク・リーはそのような人間の根源的な欲求を抉り出し、その問題点を顕わにする。しかし、世界には人は多すぎるし、様々な人種が入り混じるのは時代の流れ出し、その複雑な人間関係に複雑なまま対処するには人々は疲れすぎている。

 モンティも個人のレベルに立ち返り、人種に対する繰言をいうのはやめるが、しかし結局単純な答えに飛びついてしまう。複雑だった物事は最後には単純化され、ひとつのシンプルな物語が浮かび上がる。人間関係が決して単純ではありえないように、事実も決して単純ではありえない。スパイク・リーは人間関係の複雑さは複雑なまま表現したが、事実は単純化して描いてしまった。そこには善人と悪人がいて、敵と味方がいて、仲間と他人がいる。
  フランクの物語と曖昧な結末がその単純さに小さな亀裂を作り出してはいるが、それはあくまで枝葉末節である。オープニングから何度か示唆される“グランド・ゼロ”も、しつこいように繰り返される星条旗も、“神”への言及も複雑なものを単純化する“神の国アメリカ”への讃歌のように見えてしまう。私はスパイク・リーはこのようなときこそアメリカを脱構築するような作品を撮るのではないかと思ったのだが…
  しかしやはり、スパイク・リーの作品は面白いと同時に考えさせられる部分があり、すごくいいと思う。