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1867    

コンタクト

2006/12/5
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1997年,アメリカ,150分

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          ★★★--  
     
 
 ハム無線に熱中した少女エリーは成長し天文学者となった。地球外知的生命体を探すため天文台へと赴任した彼女だったが、彼女の研究を否定するドラムリンによって補助金を打ち切られ、盲目の同僚ケントとともに新しい支援者を探す。そしてようやく見つけた大富豪ハデンの支援により再開した研究を続けていたある日、ひとつのパルスを検地する…
  「コスモス」で有名なカール・セーガンの原作をゼメキスが大胆に映画化。科学的基礎とCGを駆使して、リアルな「コンタクト」を描いた力作。普通のSF映画とは違い、かなりの説得力がある。
監督 ロバート・ゼメキス
原作 カール・セーガン
脚本 マイケル・ゴールデンバーグ
    ジェームズ・V・ハート
撮影 ドン・バージェス
音楽 アラン・シルヴェストリ

出演 ジョディ・フォスター
    マシュー・マコノヒー
    ジョン・ハート
    ジェームズ・ウッズ

 

 

 

 

 

 異星人をモチーフとしたSF映画はそれこそ数え切れないほどある。それこそ、1902年にジョルジュ・メリエスが撮った世界初のSF映画『月世界旅行』でも宇宙人が登場したくらいだ。そしてその中にはSF小説を原作としたものも多い。H・G・ウェルズを初めとしてアイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインラインにアーサー・C・クラーク、そしてフィリップ・K・ディック、彼らの作品は数多く映画になっている。その中でカール・セーガンの作品は映画になりにくい。それは彼の作品がSFでありながら基本的にはアドベンチャーではなく、サイエンスドラマであるからだ。そこにはロマンはあるが冒険はない。だから映画にはなりにくいのだ。この映画も異星人と接触するにもかかわらず、人間が地球を出ることはないし、異星人がやってくることもない。そこにはとってつけたようにロマンスがあったりはするが、それはむしろ蛇足で効果的ではない。
  しかし、これはこれでいいのだと思う。この作品の核にあるのは宇宙を巡る人間同士のドラマである。異星人との接触は“夢”ではあるが、それが現実になったときその夢はある種の利権へと変わる。異星人との接触を成功させたという名声の利権、そしてより進んだ文明からもたらされた知識の利権、それらをめぐって人間たちは策謀をめぐらせ、欲望を吐き出す。この物語の主人公エリーも純粋な科学者としての興味を語りながら、「自分が」という欲望は持ち続けている。そこにあるのは欲望と欲望のぶつかりあいであり、対象が宇宙であろうとなんであろうと人間の間に常に存在するものである。
  だから、これは結局SFではないのかもしれない。“神”の問題が大きくクロースアップされていることからもわかるように、これは科学の問題ではなく、信仰の問題なのだ。異星人が存在するという事実(それはおそらく事実だろう)と、それがある種の福音をもたらす存在であるという信仰は神に対する信仰と似ている。原理主義的なキリスト教やイスラム教の信仰者が異星人の存在を否定するのは、それが彼らの神と対立する存在だからだ。異星人が存在するかどうかという問題は、彼らが存在するかという事実の問題だけではなく、それを信じるかどうかという問題にかかわってくる。
  どこまで証拠を並べればそれを事実ということができるのか。異星人を連れてくればいいのか?(秘密裏に開発されたロボットかもしれない) 外惑星に宇宙旅行をすればいいのか?(バーチャルリアリティかもしれない)
  そのように考えると、事実というのは究極的にはそもそも信仰の集合でしかないのかもしれない。すべての人が信じている触角や視覚という感覚に基づいた強固な信仰、それによって「証明された」ことが事実なのである。
  この映画を見ながらそんなことを思う。そしてそれは同時に、その証明があくまでも人類にとっての「証明」でしかないということも示唆している。人類とまったく異なった異星人に出会ったなら、彼らにとっての事実の証明はまったく別の形をとるかもしれないのだ。根本的な事実のあり方の違う他者と出会うということはわれわれの想像を絶している。ならば、もしかして私たちはすでに異星人に出会っているのに気づいていないだけなのかもしれない…