| 映画の質としては自主制作映画の域を超えるものではない。冒頭の透の登場シーンで、固定カメラの正面でピタリと止まり横顔をクロースアップで見せるやり方はぎこちなく、拙さを感じずにはいられない。そして、ディジタルカメラで作られた映像をブローアップしたと思われる映像の質感もやはり安っぽさにつながる。
しかしそれでもこの作品は十分におもしろい。しかも素晴らしいのはこの作品がこれからメジャーになっていこうとする制作者によくある奇をてらった作品ではないということだ。題名こそ『隠し砦の』というタイトルで黒澤作品のパロディを思わせるが(題字も黒澤のものに似せてある)、『隠し砦の三悪人』をただキャッチーなタイトルとして借用しただけで、内容はまったくのオリジナルで勝負をしている。そこが非常に共感できるところだ。
そして、内容のほうも非常に穏やかで地味な作品だ。基本的に2人の高校生の友情を描いた作品であり、それ以上ではない。そしてその中で自分とはまったく異なる友だちと出会って揺れる透の心を見事に描く。口数の少ない成績優秀な透は鉄平の中に何かを見出す。それは自分にはない何かであり、様々なことに悩む高校生にしてみればまさに青天の霹靂とでもいうべき価値観の転倒がそこにはある。しかしそれは穏やかに進行する。透の中にゆっくりとその意味がしみこんで行くのだ。この作品はそれを言葉にならない表情や行動で表現する。そのような感情というのは概して言葉にはなりにくいものであり、それを無理やり言葉にしてしまうと嘘っぽくなってしまうのだ。
だから、説明がなくても観客たちは透の悩みを理解し、彼を応援したくなる。踏ん切りのつかない彼にエールを送り、鉄平との友情も自分の人生も、それもがうまく行くように心の中で彼に声をかけるのだ。そして、その透の心情を周囲の人たちが言葉によって補強するというのもなかなかにくい演出だ。この作品は完全に透の一人称映画というわけではないのだが、透の発する言葉が少なければ少ないほど観客は透に一体化して行く。もし透の発する言葉が観客の考えている言葉とずれていれば、観客は透から離れて行ってしまう。
まあ、後から考えればそういうことだが、観ている間はそのような分析的な見方をさせないのもいい。それはゆっくりとしていながら一定のテンポで物語が展開して行くからだ。考える間を与えないというわけではなく、しかし考えさせすぎない。そのペースがなかなか心地よく、ほっとする時間を作り出すのだ。
このようなシンプルな表現によって見るものの中に“青春”の甘酸っぱさを呼び起こし、映画と一体にさせる術は素晴らしい。最初にも書いたように映像的にはまだまだという印象があるが、脚本、演出、編集という面では劇場公開されても十分楽しめるレベルにある。
次は是非プロの俳優とプロのカメラマンを使った商業映画で見てみたい監督である。。
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