| この映画は観ている間ももやもやするし、見終わってからもなんだかもやもやする映画だ。観ている間のもやもや感はどこかヒッチコックのものに似ている。この映画の宣伝文句のひとつに「ヒッチコック的」というようなものがあったと思うが、確かにそのような感じがするもやももや感である。
このヒッチコック的なもやもや感というのは何かといえば、表面的な物語のうらに何かがあるような気がするのだが、それがなんだかわからないというもやもやかんである。それはシンプルな謎解きではなく、そもそも何が謎なのかわからない、謎が何であるかということと、その謎の答えを同時に探さなければならないというようなもやもや感である。
この映画で言えば、明確な謎はジェッドという男がなぜ付きまとうのかという謎であるが、同時にジョーには何かもうひとつの謎がある。頭に靄がかかったかのようにボーっと考えてしまう気球のこと、彼はいったい気球の何を気に病んでいるのか、単なるトラウマならば、セラピストにかかればいいだけの話なのに… と思う。
そのもやもやした謎については、このジョーが恋愛について何かを教える大学の先生らしい(いったい専門はなんなんだ?)らしいということが関係しているような気もする。彼は“恋”を生物学的必要が生み出す幻想とする学説を主張しているらしいが、その彼の理論と実生活に何らかの齟齬が生まれて来ているのではないか…、それが彼の頭にかかる靄の原因なのではないか…、そんな思いが頭をよぎるが、見るものの頭にも、ジョーの頭にももやもやは残り続ける。
このように、映画はこのもやもや感を果てしなく抱えたまま進み、ジョーのもやもやは彼を狂気へと導く。ジョーのいったん狂気に足を踏み入れてしまうと、全てが疑わしくなり、このジェッドという男は本当に存在しているのか?という疑問まで浮かんできて、謎はむしろ増す。
そして、最後まで見ても謎はすっきりと解かれない。ジョーとクレアの関係にももやもやが残り、ジョーの考えがどう変わったのかもわからない。最後にジョーは「自分が最初に手を離したのではないかと気を病んでいた」というが、果たして本当にそんなことで気を病んでいたのだろうか。私にはそれ以上の何かがそこにあり、その靄はまだ晴れていないように思えた。あの事件によって何かが決定的に変化し、しかしそれを完全には消化しきれていないそんな感じが残る。
映画の終わり方としてはなんともすっきりしないが、私はこれでいいのだと思う。全てがすっきりと収まる大団円の物語もいいが、このような物語もいい。そもそも大団円のように見える物語も実際のところは何も解決していないことが多いのだから、このように正面きってすっきりしない終わり方というのも逆に潔いという気もしてしまう。
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