ホーム メルマガ リスト

 

   

素晴らしき日曜日

2006/1/16
1947年,日本,108分

 
            
     
 
 日曜日ごとのデートを楽しみにしているふたり、しかしふたりとも貧乏で今日はふたり合わせて35円しかない。それでも必死に楽しく過ごそうとする昌子だったが、雄造はどうにも憂鬱で昌子の気分について行くことが出来ない…
 戦後の暗い世相の中必死に明るく生きようとする人々を描いたヒューマン・コメディ。黒澤作品の中ではかなり珍しいタイプの作品で、黒澤明の若さがにじみ出ている感じがする。
監督 黒澤明
脚本 植草圭之助
撮影 中井朝一
音楽 服部正

出演 沼崎勲
    中北千枝子
    渡辺篤
    中村是好
    内海突破
    並木一路
    菅井一郎

 

 

 


素晴らしき日曜日

素晴らしき日曜日


 


黒澤明 : THE MASTERWORKS 3 DVD BOXSET

 

 

 

 この映画を見ながら考えてしまうテーマ、それは「戦後」である。黒澤明は基本的に戦後に活躍し始めた監督だが、彼はその時代にその「戦後」をリアルタイムでテーマにする作品を撮り続けた。青春ものでも、サスペンスでも、つねにそこには「戦後」が横たわり、社会をその対象として描いたのだ。
 そして、この作品もそのひとつ。プロットは恋人同士が一日の休日を過ごす間の心理のゆれに添って展開されるが、彼らの気持ちを動かしているのは「戦後」が落とす影である。復員兵である雄造はまっとうに生きているのではままならない社会に厭んで、自暴自棄になりかけている。昌子はそれを食い止めようと自分の苦しい境遇にもかかわらず明るくふるまう。しかし、昌子は別に無理をしているわけではない。昌子は姉が何でも深刻に考えて自分とは正反対だと劇中で語るが、これは雄造にも向けられた言葉であり、物事を深刻にとらえてしまう雄造と自分との対照を暗に語っている。
 そして、雄造は結果的にその昌子の明るさに救われるわけだ。
 そして、その雄造が救われる瞬間、この映画には非常に物議を醸すシーンがある。それはまるで昌子がスクリーンの向こう側の観客たちに語りかけているかのようなシーンである。設定上は、誰もいない観客席にいると仮定されている観客たちに語りかけているのだろうが、クロースアップにされた昌子の目はまっすぐとカメラを見据え、スクリーンの向こう側(私たちから見ればこちら側)にいる人たちに語りかけているとしか思えない。昌子は「私たちのようなまずいい恋人たちを励ますために拍手をしてください」と熱く語りかける。当時の観客たちは彼らの境遇を自分たちと重ね合わせて、映画館で熱い拍手を送っただろうと想像するが、実際はあまり拍手は起こらなかったともいわれる。
 このシーンは映画と観客の関係のあり方を考える上においては非常に重要なシーンではある。映画は観客を観客として傍観者においておくのか、それとも観客をスクリーンの内側に引き込んでいわば参加者としてしまうのか、その問題である。古典的なハリウッドスタイルはスクリーンに仮想的な線を引き、客席をスクリーンの延長された空間と考えて、観客はスクリーンで起きている現場にいるという感覚作り上げた。黒澤もこのシーンに来るまではほぼそのようなスタイルをとっているように思えるのだが、そこにいきなりこのシーンが来る。そのせいでどうも急に現実に引き戻されるような感覚を覚えてしまうのだ。そのせいで今ひとつ観客を拍手に誘うことが出来なかったのではないか。これは黒澤の演出のうまさがむしろ逆効果だったというべきなのか、逆にここまでは観客を傍観者の立場においておいて、このシーンをきっかけに一気に観客を引き込む展開にすれば、このシーンは効果的なものになったのではないかと思える。

 しかし、あるいは逆に黒澤は最後に観客を現実に引き戻したかったのかもしれないとも思える。この作品の前半は子供が主人公といえるものである。境遇によってさまざまな状況に置かれた子供、自分の責任ではないのにあまりに不平等な現実を押し付けられた子供、そのような現実を黒澤は描く。雄造は「夢じゃおなかは膨れないと行ったのは嘘だ」と観客に拍手を求めるシーンより前にいうが、子供にとってはそれが現実だ。夢でおなかが膨れると思い込めるのは大人だけであり、映画の夢物語に浸るのもいいがそんな現実も忘れてはいけない。青年黒澤のそんな主張がこの映画からは感じられるような気がする。