2001年,日本,146分
監督:岩井俊二
原作:岩井俊二
脚本:岩井俊二
撮影:篠田昇
音楽:小林武史
出演:市原隼人、忍成修吾、蒼井優、伊藤歩、田中要次、大沢たかお、稲森いずみ、市川美和子、杉本哲太

中学生の蓮見雄一は不良仲間とつるんでいるが、どこか気弱なところがあり、リリイ・シュシュというアーティストにはまっている。雄一は万引きをしてつかまり、彼らのボス的な存在である星野修介と仲間にリンチされる。しかし、雄一と修介は中学1年生のころは中のいい友達だった…

現代の中学生の3年間をイメージとして物語に閉じ込め、それを音楽でひとつにまとめた作品。ウェブサイトの掲示板を利用して、読者との対話の中から岩井俊二が生み出したインターネット小説から生まれた映画。フィルム用いずデジタルビデオだけで撮影したというのも特徴のひとつ。

個人的な感想からいえば、あまり好きな映画ではない。映画の作り方としては新しいところもあり、面白いところもあるけれど、冗長で退屈だ。随所に登場人物たち自身が持つビデオカメラの映像が挿入され、安定した映画本体の映像と対照を成すが、その過剰な手ぶれが痛ましい。

そして、この映画は「痛み」とか「癒し」ということをいっていながら、決してその痛みに本体に入って行こうとはしない。「痛み」を抱える存在として描かれる登場人物たちの痛みを作り手が共有していないというか、それは言葉としてあるだけでちとなり肉となっていないという印象がどうしてもしてしまう。

それは、この映画があまりにスタイリッシュというか、映像としてのスタイルを重視しているがために起こるような気がする。「痛み」というようなものをひとつのテーマとしながら、そこにメッセージをこめてそれを映画の主題とするよりも、スタイルを重視してしまった感じ。それが私がこの映画に感じる根本的な嫌悪感だ。だから、面白くないとはいわないが、好きではない。

それでも、この映画を見るなとはいわないし、むしろ見てもいいと思う。たぶん、こういうスタイルで作られた映像のほうがスッと心の中に入ってくる人もいるのだと思う。そういう人は非常に現代的な心の持ちようをしていると思うし、それは悪いことではない。

しかし、私はこの映画にスッと入り込めてしまうような心の持ちように対して胡散臭さを感じる。この現実を切り取ったようなさまをしながら、あくまでもすべてがイメージの産物であるような映画を、自分の現実に引き込んでリアルだと感じられるということは、その現実に何か瑕疵があるのではないかと思ってしまう。その瑕疵に気づかないまま映画の世界に浸ってしまうことにはある種の危うさが伴う。

そのような現実感覚、つまり自分の現実をイメージで覆い隠してしまうというか、バーチャルな異なったリアルを作り出してしまうような現実との対峙の仕方をどうにも受け入れがたいということだ。

映画の中の掲示板のメッセージのひとつで、ノストラダムスの予言について言及したとき、「世の中は滅びた。今あるのはマトリックスだ」みたいな言葉があって、それは映画の中ではそれほど重要な言葉として出てくるわけではないけれど、この映画の要素を凝縮したような言葉であるという気がした。

マトリックスで起きているさまざまな出来事であるがゆえに、彼らのとる行動はこうなってしまうのだと。

岩井俊二がそのような現実感覚に対してどのようなスタンスをとっているのかはこの映画からはわからない。ここで描かれているようなものに対する危機感をもって作っているのか、それともただ現実(あるいは未来)をなぞっているのか、特に意識していないのか。

わたしはこの映画はあくまでスタイルを重視した映画だから、そのあたりはあまり意識せず、現代的なスタイルと一致する世界観を構築するということに重点が置かれているのだと思う。

そこで作られたこのような現実感覚の希薄な世界に私は共感できない。

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