静かなる決闘
2002/11/29
1949年,日本,95分
- 監督
- 黒澤明
- 原作
- 菊田一夫
- 脚本
- 黒澤明
- 谷口千吉
- 撮影
- 相坂操一
- 音楽
- 伊福部昭
- 出演
- 三船敏郎
- 志村喬
- 三條美紀
- 千石規子
- 植村謙二郎
- 中北千枝子
第二次大戦に軍医として従軍した医師の藤崎は手術中にメスで手を切ってしまうが、そのまま手術を続ける。そして後日、その患者が梅毒であったことを知り、検査をしてみると自分も梅毒に感染していることが判明した。復員した藤崎はそのことをともに病院でも働く父にも隠し、婚約者である美紗緒にも隠し、美紗緒を遠ざけようと死ながら、こっそりと治療薬であるサルバルサンの注射を打ち続けていた…
当時東宝では労働争議がおき、撮影ができなくなっていたため、黒澤は大映で初めて作品を撮った。しかし起用した役者は東宝時代と変わらず、黒澤ワールドは健在。
映画はいきなり豪雨で始まり、大映配給ではあっても「俺は黒澤だ」と主張しているかのようだ。黒澤が豪雨を多用するのは「よっぽどたくさん降らせないと雨が映らないから」だそうだが、黒澤の豪雨の力にはどうも圧倒される。私は昔から豪雨のシーンというのはなんだか圧迫されるような感じがしていやで、それは黒澤映画でも変わらず、豪雨のシーンが出てくると何だがイヤーな気分になる。この映画の場合はその嫌な気分というのは映画の狙いとマッチしているようでいいけれど、皆が感動する『七人の侍』の豪雨の中の合戦のシーンもなんだか嫌な気分になってしまい、なかなか「すごい」とは思えなかった。『羅生門』になると、門の下の人たちの閉じ込められたような気持ちを共有できていい。
黒澤も別に豪雨が好きというわけではなく、本当は嫌だからこそ映画に多用したのだという気がする。豪雨で始まる映画などは基本的に鬱屈とした気分を表していることが多いし、『七人の侍』などは映画の勢い(あるいは撮影現場の勢い)が豪雨への嫌悪を打ち払ってしまったのだろうという気がする。
この映画の場合、豪雨(2度出てくる)は鬱屈した気持ちの表れで、基本的に暗く静かな映画にさらに暗さを加える効果をあげている。映画全体のプロットの面白さを支える要因ともなっている。
この映画のプロットの面白さというのはその複雑さにある。一つ一つはよくある話のようでありながら、それが組み合わさり、一人の人物に修練していくことでひとつの優れた物語が織りあがる。
梅毒をうつされた男とうつした男。戦争で離れ離れになった恋人。自殺未遂をするところまで絶望した若い女。父と子。
この映画では志村喬と三船敏郎の親子よりむしろ三船敏郎と千石規子が師弟の関係にある。この作品の前作は『酔いどれ天使』、次作は『野良犬』で、そこで志村喬と三船敏郎の師弟関係を描いているから、ここでは少し違う形の師弟関係を描こうと考えたのかもしれない。私はこの千石規子は非常にいいと思う。このキャラクターがいないと、ただの戦後の暗い物語になってしまうところを、ひとつの希望ある物語にする。千石規子はそのキャラクターにぴたりとはまる。実質的に黒澤明に見出されたといえる千石規子は『酔いどれ天使』でもなかなかいい味を出していた。黒澤映画にはこんな名脇役(準主役)がたくさんいる。
