1956年,日本,49分
監督:亀井文夫
撮影:黒田清巳、瀬川浩
音楽:長沢勝俊
出演:山田美津子(解説)

 1955年、原爆投下から10年を迎えた広島・長崎で「第1回原水爆禁止世界大会」が開かれた、亀井文夫はその支援運動のひとつとして、その前後の期間、広島と長崎で被爆者たちを取材し、それをドキュメンタリーとしてまとめた。
 映画は顔の4分の1ほどが崩れ落ちた女神の像からをバックにしたタイトルから始まる。これは顔にケロイドができてしまった少女たちのメタファーなのだ。一部原爆投下直後のフィルムも織り交ぜられ、原爆投下10年後の現実を余すことなく伝える。
 勅使河原宏も助監督として参加している。

 50年代に入り、亀井は基地問題についてのドキュメンタリーを次々と発表したが、それもまた戦争と人々との係わり合いについて考えるためのものであったのかもしれない。そしてこの作品も戦争と人々とのかかわりについて考えさせられる。簡単に言えば、戦争は一部の人には深い傷跡となって残り続けるけれど、他の人々には忘れ去られてしまうものだということだ。亀井の作品はその忘却に抗って、そしてさらにそもそもそのような悲劇を知らない人々に知らしめるものである。
 それを象徴的に示すのは、原爆記念館を訪れた外国人の女性の「こんなことはあってはならない」というセリフだ。このセリフを吐かせたのは、原爆によってひん曲がってしまった少女の手のレプリカであり、それが展示されることが可能になったのは、その少女の母親が周囲の冷たい視線や反対を押し切って積極的に展示しようと動いたからだ。周囲の視線や、いわれなき差別は原爆被害者たちにその傷跡を隠そうとさせる。もちろん被害者たちもそのような傷跡を治療し元に戻したいだろうが、周囲がさらにその傷に塩を塗りこむようなことをする必要はない。
 そんな当たり前のことをこの映画は再認識させる。日本で育っていれば大概見たことがあるだろう原爆被害の悲惨な写真や映像やエピソードも時間とともに忘却のかなたに追いやられてしまう。それは新たな戦争、新たな核兵器への警戒心を緩めてしまう。だからその悲惨さや苦しみをくり返し忘却の淵から取り出さねばならない。
 この映画の戦争とのかかわり方はそういうことだ。戦争という悲劇を忘却の淵から掬い上げること。それもまた映画というものが戦争とかかわる一つのやり方である。

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