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それは今まで見た中で最も感動的な喧嘩のシーンだった。エスカレートするヘドウィグの歌に怒りを募らせ、ついに「このオカマ!」とわめいた一人のデブ(あえて差別的に)。そのデブに向かって思い切り、プロレスラーのように跳躍するバンドメンバー。デブのわめき声からデブが倒されるまでの間の絶妙さ。それは一面では笑いではあるけれど、本質的にはヒューマニックな感動を呼ぶシーンなのだ。だからその後のヘドウィグの長い跳躍シーンはなくてもよかった。飛ぶまではとても美しかったけれど。
それに限らずこの映画は非常に感動的な映画だ。ヘドウィグの歌う「愛の起源」もとても感動的だし(歌に詠われている神話はギリシャの喜劇作家アリストパネスの話としてプラトンが「饗宴」が伝え、ホモセクシュアルにとっては一種の創世神話的な位置づけがなされる有名な神話である。たとえば、フランスの作家ドミニック・フェルナンデスの「ガニュメデスの誘拐」p107)、もちろんラスト近くも感動的だ。この映画のすばらしいところはその感動が常に音楽か笑いに裏打ちされているということだ。恣意的な感動を誘おうというドラマではなく、音楽があり、笑いがあり、それで感動がある。そこにはもちろん人間がいて、人生がある。それは肉体をともなっているという印象であり、それはリアルなものと感じられるということでもある。笑いながら、あるいは体でリズムを取りながら感じる感動はただ言葉を聞き、映像を見て感じるだけの感動とは質の違うものとなるのだ。そこをひとつの戦略と言ってしまえばそれまでだが、ヘドウィグのアングリー・インチがそのような肉体的な感動を可能にするダイナモであることは確かだ。
音楽が最高なのは言うまでもないかもしれない。ロック、グラムロック、パンク、そのあたりをソフトにたどり、大人が眉をひそめるようなものではなく(いまどきなかなか眉をひそめる大人もあまりいないが、映画の世界ではいまだによくある)、わかりやすく、しかし格好いい。映画のプロットに寄与する歌詞とヘドウィグのビジュアルが映画の中で音楽を浮き立たせていることは確かだ。そのように映画を引き立てる、それは逆に映画によって引き立てられているということでもあるけれど、それは映画音楽として最高のものだと思う。おそらくそれはもともとがミュージカルであったということも関係すると思うけど。
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