How to Steal a Million
1966年,アメリカ,126分
監督:ウィリアム・ワイラー
原作:ジョージ・ブラッドショウ
脚本:ハリー・カーニッツ
撮影:チャールズ・ラング
音楽:ジョニー・ウィリアムズ
出演:オードリー・ヘップバーン、ピーター・オトゥール、ヒュー・グリフィス、シャルル・ボワイエ

 オークションに出品されたセザンヌの名画、実はその持ち主ボネ氏は娘と2人で暮らす屋敷の屋根裏で日々贋作を作り続ける贋作者だった。そんなボネ氏が娘の反対を押し切って先代の作った「ビーナス」の彫像を展覧会に出品することにした。その展覧会が始まった日の夜、ボネ家に泥棒が忍び込む…
 パリを舞台にオードリーの活躍を巨匠ウィリアム・ワイラーが撮ったロマンティック・コメディ。間違いなく名作です。

 やっぱり、オードリーなのですよ。ウィリアム・ワイラーはすごいかもしれません。ジバンシーも素敵かもしれません。でもやっぱりオードリーなのですよ。どんなにすごい人たちでも引き立て役にしてしまうのがきっとオードリーなのですよ。この映画のオードリーはなんといってもサングラスですね。特徴的な大きな目を隠す大きなサングラス、これですね。そのサングラスをはずすと顔の半分くらいもありそうな大きな目。吸い込まれそうな目ですね(なんだか淀川長治のような文体になっていますが、気にしないように)。『昼下がりの情事』の時にはチェロでした。それが今回はサングラス。クレジットにジバンシーの名前が出ていましたが、あのサングラスもやっぱりジバンシーなのでしょう。そのあたりはあまり詳しくありませんが、今も『おしゃれ泥棒』モデルとして売られていることでしょう。それくらい魅力的なオードリーのサングラスでした。
 とはいってもサングラスだけで映画が作れるわけではありません。この映画の作りはかなり周到です。コメディとしてジャンルわけされる映画ですが実際のところ「謎解き」というか「気になる展開」が大きなウェイトを占めています。このダルモットという男は何者なのか、お父さんは捕まってしまうのか、ビーナスはどうなるのかなどなど。このように複数の「謎」があることで映画が展開力を持ちます(「展開力」というのはわたしが勝手に言っている用語ですが、要するに観客に先の展開を気にさせる力のことですね)。このような展開力のある映画は観客に受け入れられやすく、「面白かった」となりやすい。これはいいことですね。
 さて、この映画で一番よかったところといえば、クローゼットの一連のシーンですね。「鍵を動かすとき、角のところはどうしたんだ!」などという細かい疑問はありますが、あの狭い空間を表現するのにほぼ一つのフレームだけを使い、その固定されたフレームで十分なドラマを描く。それはかなりいいです。時間とともに変わっていく2人の間の緊張感と距離感がとてもよい。あの場面をもっとじっくり撮ってもよかったんじゃないかと思ってしまいます。
 そういえばひとつ不思議に思ったのは、オードリーの作品にヨーロッパが舞台のものが多いのは何故か?ということです。オードリーは(確か)ヨーロッパ系なので、それが理由といってしまってもいいのですが、何かそこに当時のアメリカ人のヨーロッパに対するイメージのようなものが見えてくるのかもしれないとも思いました。アメリカ人にとってオードリーとはある種のヨーロッパの鏡像であるというと大げさですが、アメリカ人にしてみると、オードリーはなんだかヨーロッパな香りなのでしょうかね?

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