1951年,日本,93分
監督:伊藤大輔
原作:大仏二郎
脚本:依田義賢
撮影:石本秀雄
音楽:鈴木静一
出演:阪東妻三郎、田中絹代、月形龍之介、山田五十鈴、佐田啓二

 江戸時代、権勢をほしいままにし、その権力は将軍をも上回るといわれた沼田家。その下には全国各地から贈り物と請願が届き、その贈り物いかんでどうにでもなる世の中。そんな時代、沼田家に対抗する家臣の家に推され将軍の中藹になろうかというお勝が殺された。そんな話が生臭坊主夢覚和尚の耳にも届く。阪妻演じる和尚が活躍する推理時代劇。
 若い阪妻もいいけれど、わたしはむしろ年を重ねて十分に味が出てきた阪妻が好き。50歳にしてこの色気を出し、同時に笑わせることもできる芸達者振りが今阪妻を振り返って魅力的なところ。

 阪妻はもちろんいいです。たしか『狐の呉れた赤ん坊』でも描いたと思いますが、スタートは思えないほどコミカルに動く顔の表情が最高。立ち回りも、坊主であることによってコミカルなものにはやがわり。若かりしころの緊迫感漂う、颯爽とした立ち回りもいいですが、コミカルに立ち回りができるというのは得がたき才能なのでしょう。
 立ち回りといえば、この映画で印象的だったのは橋の上での立ち回り。多勢に無勢、多数の軍勢を阪妻一人で受けて立つわけですが、それを橋の上に展開させる監督の(あるいは脚本の)周到さ、いかに剣豪ばりの刀捌きを見せる和尚であっても(そして阪妻であっても)、何もない平原で多勢に無勢じゃ歯がたたない。多勢に対抗するときには細いところで一度に相手にする敵の数を減らす。これは戦いの基本であるようです。そのあたりをきっちり守るところがなかなかよい。そういえば、準之助を逃がす場面の立ち回りも一方が塀、一方が堀の細い道でした。
 映画の作りのほうの話をすれば、監督は巨匠の、そして阪妻と数多くの作品で組んでいる伊藤大輔。さすがに見事な画面構成といわざるを得ません。何度か使われる手持ちカメラでのトラックアップ、たまに出てくることで、そのシーンの緊迫感が増す。使いすぎるとうるさくなる。しかし、他のシーンからあまりに浮いていても映画にまとまりがなくなる、そのあたりのバランスをうまく取って、抜群の効果を挙げています。
 そう、監督の演出も手法もさすがという感じですが、まあ伊藤大輔ならこれくらいやってくれるさと(生意気にも)思うくらいのものです。それよりもやはり阪妻の顔。それは面白いだけではなく、その場面場面でセリフ以上のことを語る顔。伊藤大輔はさすがにそれを知ってズームアップを多く使う。そして顔から伝わる物語。そういえば、阪妻最初の登場は坊主の笠で顔を隠し、隠したままで1シーン、2シーンと進んでいました。その登場の仕方からしても、監督は阪妻の顔の魅力を十全に知っていたということでしょう。ついでに、終盤は田中絹代と、山田五十鈴の顔がクロースアップされます。阪妻には負けますが、彼女たちも女優魂をかけてかどうかはわかりませんが、懸命に顔で演技をする。
 いい顔がじっくり見れます。

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