Dishonored
1931年,アメリカ,91分
監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ
脚本:ダニエル・N・ルービン、ジョセフ・フォン・スタンバーグ
撮影:リー・ガームス
出演:マレーネ・ディートリッヒ、ヴィクター・マクラグレン、グスタフ・フォン・セイファーティッツ、バリー・ノートン

 第一次大戦中のウィーン、女は自分のアパートでまた自殺者が出たのを見て、「私は生きるのも死ぬのも怖くない」とつぶやく。それを聞いた男が女を誘って
女の部屋へ。男は女にスパイをしないかと持ちかける。ワインを買いに行くといって部屋を出た女は反オーストリアだといった男を逮捕させるため警察官を連れて
くる。
 スタンバーグはディートリッヒがスターダムにのし上がるきっかけを作った監督で、アメリカでの初期の作品で7本コンビを組んでいる。

 ディートリッヒは美しい。ディートリッヒが美しいから、あとはどうでもいい。というか、あとはディートリッヒの美しさを引き立てるためにある。といいたくなってしまう。
 この映画のプロットはかなりお粗末といっていい。こんなのんきなスパイはいないと思う。にもかかわらず「女でなかったら最高のスパイだっただろう」などと冒頭で強調するのは、あくまでその「女」の部分を強調したかったからだろう。それはひいては、この映画がスパイ映画ではなく恋愛映画であるということを主張しているということだ。そしてその恋愛を引き立たせるために(スパイ同士という)困難な状況を作る。
 これはこの映画の過度のロマンティシズムを生む。いま見るとこの映画ロマンティックすぎる。この映画が作られたのは1930年、ちょうど世界恐慌が起こったころだ。再び戦争の足音が聞こえてきた時代、ロマンティシズムは映画制作者と観客を現実から一時逃れさせてくれたのかもしれない。ロマンティシズムで世界を救うことはできないが、一人の人間をいっとき救うことはできるのかもしれない。それを生み出すのがかくも美しいディートリッヒならなおさらのことだ。
 それにしても、ディートリッヒはずん胴ね。脚は細くて美しいのに、どうしてあんなにずん胴なんだろう?

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