SEX : The Annabel Chong Story
1999年,アメリカ=カナダ,86分
監督:ガフ・リュイス
音楽:ピーター・ムンディンガー
出演:アナベル・チョン

 10時間で251人とSEXし、世界記録(当時)を樹立したポルノスターのアナベル・チョン。南カリフォルニア大学で写真と性科学を学ぶフェミニストでもある彼女の記録への挑戦を描いたドキュメンタリー。取り上げられている題材の割には映像自体は過激ではなく、彼女の生き方や考え方を描こうとしている姿勢が感じれらる真摯な作品。
 このようなセクシャリティ系の映画はかなりストレートにメッセージが伝わってきていいですね。「女性には自らの性を商品化する権利がある」

 女性も攻撃的なセクシャリティを持つことができるという彼女の考え方もよくわかるし、それを権威的でない形で実行するという態度にも共感できる。それが300人とセックスをしようという形に結びつくというのもその発想を追っていけば理解できないことではない。
 しかし、やはり偏見や既成概念にとらわれているわれわれは彼女の主張を受けとめられない。彼女のように振舞うことは容易ではない。もちろんそれは251人とセックスをしろということではなく、自由であれという意味でだけれど。ただ自由であろうとするだけでも難しい。特に性的に自由であることは、自由から生じる不安感に加えて世間からの(あるいは自分の内にある仮想的な世間からの)圧力も同時に存在する。アナベル・チョンでさえ自分の両親には告げることができなかったのはそれだけ既成概念が強固であるということだろう。
 女性が抑圧されていると主張する人たちの目がセックスへと向くのは、女性の抑圧の根本的な原因がセックスにあるからである。そして、ポルノというのは女性への性的な抑圧を端的に示すものである。だからフェミニストたちはポルノを糾弾し非難し、規制しようとする。それに対してアナベル・チョンはその内部に入り込み、それを見えなくするのではなく変えてゆく。ポルノという領域で女性が自分を解放できるのだということを証明しようとする。
 映画の中でマイケル・J・コックス(この名前は傑作だけど)はアナベル・チョンのことを「業界の面汚し」と呼んだ。251人とのセックスと聞いて最初に返ってくる反応の多くは「衛生面」や「エイズ」という反応だった。このような反発や意味のすり替えを見ると、アナベルの主張の正しさを感じる。しかし、実際に問題なのは誰が正しいのかということではない。
 話がまったくまとまらない!
 彼女のすばらしさのすべては行動が伴っているということにあると思う。セクシャリティにおいて本当に自由である。それが自然であるようにうまく描いているというのもあるけれど、当たり前のように元恋人という女性が出てくるし、セクシャリティの線引きから逃れるような親友アランもいる。
 主張するならば、行動しなさい。といわれている気がするけれど、それはなかなか難しい。

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