Whispering Sand
2001年,インドネシア=日本,106分
監督:ナン・アフナス
出演:クリスティン・ハキム、ディアン・サストロワルドヨ、スラメット・ラハルジョ

 インドネシアのある島の浜辺で暮らす母と娘。父親はいなくなり、母がお茶の屋台と産婆の手伝いをして生計を立てていた。ある日、そこに踊り子をしている叔母が訪ねてくる。叔母は旱魃のせいで街は治安が悪化し、放火までが起こっていると知らせ、ここから逃げるよう勧めるが母親はそれを受けいらない。しかし、あるよ村にも火の手が上がり、母娘も逃げざるを得なくなった…
 いかにもアジアらしい寡黙な映画。映画の中に登場するインドネシアの風景に新鮮な驚きがある。

 まずプロットが分かりにくい。放火をして回る人たちは誰なのか? 迷彩服に身を包んだおそらくゲリラの人たちは何なのか? インドネシアの人なら見ただけでその背景は分かるのだろうか? 私には全くわからなかった。放火する人たちは、雨が降らない事が理由とされている。しかし、雨が降らなくてなぜ放火をするのか全くわからない。そのあたりの脈略のつながらなさに引きずられていまひとつ映画に入っていけない。むしろ超自然的な力とか魔術的な力で説明されている方がまだ入りやすかったような気がする。お父さんというのもいまひとつ人物像がはっきりしない。
 この映画は題名のとおり「砂」の物語で、毎朝砂に埋もれてしまう家というのも出てきて、どうしても安部公房のあるいは勅使河原宏の「砂の女」を思い出してしまう。そんなことを考えながら見ると、この映画では砂に埋もれてしまう家がいまひとつ生かされていない気がする。ただそこに家があるというだけで、「砂に埋もれてしまう」という設定は全く物語には関係してこない。「砂の女」を知っていると、それがなんだかもったいなく感じてしまう。あの家使ってもっと面白いことができるんじゃないか、などと考えて、またも映画の本筋から心が離れてしまう。
 けなしてばかりですが、それはやはり映画に入り込めなかったから。そうすると、主人公の母娘の気持ちにも共感ができない。となるとどうしても批判的な目で見てしまうのです。しかし、気に入ったシーンがひとつ。それは母娘が山を旅するシーン、砂嵐がやってきて去るとひとりの男が隣にいる。そして、その周りの砂の中からたくさんの人が這い出てくる。ただそれだけのシーンですが、インパクトがあるし、なんだか「砂」の持つ別の一面が語られているような気もしました。

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