Delbaran
2001年,イラン=日本,96分監督アボルファズル・ジャリリ脚本アボルファズル・ジャリリレサ・サベリ撮影モハマド・アフマディ出演キャイン・アリザデラハマトラー・エブラヒミホセイン・ハセミアン

 アフガン人の少年キャインは戦争が続くアフガニスタンを逃れ、イランの国境にきた。そこからカフェを営む老夫婦の下へと流れ着いた彼はそこで店の手伝いなどをしながら平和に過ごしていた。しかし、イランではアフガンからの不法入国者が問題となっており、そのカフェにも度々警察が出入りしていた…
 砂漠と少年というイラン映画のひとつの典型的なモチーフの中に、アフガニスタンという問題を編みこんだ作品。他にもいろいろと考えさせられることでしょう。

 荒野と少年、まさにジャリリらしく、イラン映画らしい始まり方。セリフも少なく、効果音もなく、淡々としている。構図はシンプルにして美しく、決して斬新ではないけれど、よく考えられている。人やものの配置の仕方、パッと挿入される静止画のような映像。それらの映像美はイラン映画にしかできない独特の美学だと思う。
 しかしそんなことばかり言っていてはイラン映画は皆同じということになってしまうので、この映画の何が独特かを考える。映像の面で気付いたことといえば、被写体がフレームアウトしない。この映画ではカメラが捕らえる中心的な被写体がフレームアウトすることはない。カットの切り替わりは被写体がまだ画面に残っている間に行われる。前を車が通過したりすることはあっても、中心的な被写体はフレームアウトしない。唯一といっていい例外は軍用トラックが何台か通り過ぎる場面で、3台か4台のトラックが画面の右から左へと消えてゆく。だからどうということもないですが、ちょっと小津が「画面を横切るなんてそんな下品なことできない」といっていたのを思い出しました。
 さて、この映画はかなり強いメッセージを持つ映画だと思いますが、アフガンを取り上げているからといって反戦ということではなくて、漠然とした愛のようなもの。それを敷衍させていけば反戦にもつながるというもの。
**注意**
 こういう結論じみた事を書いてしまうのはあまり好きではないのですが、これを書かずにこの作品を語ることはできんと思うので書いてしまいます。映画を先入観を持って見たくないという(まったくもっともな)意見の人はここから先は読まないでね。
**注意終わり**
 このセリフの少なさにもかかわらず、キャインと老夫婦の間の愛情というのが滲み出してくる。もちろん警察での場面などそれが明確に出てくる部分もあるけれど、ただおばあさんが窓から外を眺めているだけで、そこに何か愛情の視線のようなものを感じるのは不思議だ。そしてそのセリフの少なさは穏やかで、言葉なしでも通じ合う心というようなものを表現しているのだろう。その愛情はキャインと老夫婦に限らず通りすがりの人までも及ぶ。この映画の登場人物たちはちょっとしたけんかをしても次のシーンではすでに仲直りしている。
 この映画はこの愛情の由来をおそらく宗教に持ってきている。イランの人たちは宗教熱心な人が多く、この映画でも宗教的なシーンがでてくる(特に顕著なのは礼拝のシーンと結婚式のシーン)。同じ神を愛する者達が本当に仲違いなどできるわけはないと、監督は言いたいのではなかろうか。
 さらに、映画中の宗教儀式を行うのが主にアフガン人であることから、あえて深読みすれば、戦争によってムスリム同士が敵対することの無益さを主張していると読めなくもない。

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