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貸間あり

2001/8/29
1959年,日本,112分

 
            
     
 
 大阪の高台の上にあるアパート屋敷。蜂を飼う男やエロ写真を売る男など個性的な人たちが住む。そこに住む与田五郎はよろず引き受け屋。そこに陶芸家のユミ子、浪人生のミノルがやってくる。ともにアパート屋敷の空家に住まおうとするが、結局ユミ子が住むことになった。住人が増えても、アパート屋敷は相変わらずドタバタの毎日。
 混沌と軽妙。捉えどころのない川島雄三の作品群の中で、特徴といっていいこれらの要素がストレートに盛り込まれた作品。川島作品の典型、というよりは平均といっていい作品かもしれない。
監督 川島雄三
原作 井伏鱒二
脚本 川島雄三
    藤本義一
撮影 岡崎宏三
音楽 真鍋理一郎

出演 
フランキー堺
    淡島千景
    乙羽信子
    桂小金治
    浪花千栄子
    小沢昭一

 

 

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 すべてが混沌としている。アパートそのもの、アパートの住人達の関係、物語。ただその中で構図だけがしっかりとしている。軽い語り口と混沌の作り出すわけのわからなさが映画を圧倒してしまうけれど、ひとつひとつの画面を切り取っていくと、それは周到に計算された(あるいは天才的な)構図が存在し、それがこの混沌をなんとなくまとまらせている。とくに、アパートの食堂というか、皆が食事をする場所での構図は、人がたくさんいることもあってか気を使っているのが分かる。
 しかし、結局のところ「軽さ」こそが映画の命。プロットのすべての要素は物語を軽く軽くする方向に進んでいく。深刻そうな出来事にもすべて落ちがあり、「げてもの」であることに悩んでいても、果たしてそれが治ったのか、そんなことは問題にしない。「さよならだけが人生だ」といいながら、軽々と世の中を乗り切っていくそんな人たちだけがいる映画。川島雄三自身もそんな軽がるとして人生を送ったのかもしれない。放蕩三昧を尽くし若死にした彼が自己を投影したように見えるこの作品は果たして本当の彼の姿なのか、それとも人に見せようとする自分の姿なのか。それがどちらであるにしろ、敗戦後の混乱から立ち直りつつありながらもいまだ物事を深刻に考えてしまう日本の中にあって、「軽さ」を主張する稀有な存在であったことは確かだろう。この軽妙さがもたらしたのは日本の「モダニズム」であり、新たな日本映画であったのだろう。
 ここには日本映画に稀有なキャラクター川島雄三の「らしさ」があるのです。多分ね。