1962年,日本,98分
監督:川島雄三
原作:水上勉
脚本:舟橋和郎、川島雄三
撮影:村井博
音楽:池野成
出演:若尾文子、三島雅夫、木村功、高見国一、中村鴈治郎

 時代は昭和の初期、京都の襖絵師の妾をして暮らしていた里子だったが、その襖絵師が亡くなり、ゆくあてもなくなった。しかしその襖絵師南嶽が世話になっていた禅寺の住職に囲われることになった。その寺で暮らし始めた里子だったが、その寺には無口で奇妙な小坊主慈念がいた。
 変幻自在の映画監督川島雄三が大映で撮った3本の作品のうちの一本。軽妙な川島のイメージとは裏腹な重苦しい物語に若尾文子の妖艶さが加わってかなり見応えのある力作となっている。

 本当に川島雄三という監督は変幻自在で、どんな映画でも撮れるというか、撮るたびに違う映画を撮るというか、不思議な監督である。フランキー堺などを起用したコメディが川島流かと思いきや、ここでは重厚な作品を撮る。
 この映画は物語りもかなり重く、淫靡で暗澹としているが、映画としてもかなり見応えがある。川島としても晩期の(といっても夭逝の作家なのでそれほど歳ではないが)作品で、完成度は高い。特に映像面ではぐっと心に刺さってくる映像が度々出てくる。最初にぐっときたのは慈念が肥汲みをしている場面、肥溜めの汲み出し口から慈念を写す映像なのだが、その思いもがけない構図に驚かされる。今になって思えば、この場面のような普通では用いられない視点がこの映画には数多く出てくる。その違和感がこの映画にテンポ(重いテンポ)をつけ、映画へと入り込むのを容易にしている。
 この映画は、結果的に慈念が主役的な役割を演じるようになるわけだが、そのプロットの持っていき方(ネタばれになるので内容は言わない)と映像の変化のつけ方がともにラストに向かって緊張感をましていく。そして最後(エピローグ前)に非常に芸術的なラストが待つ。このもっていき方は本当に感心。最後のエピローグは個人的にはちょっとねという感じだが、これが川島流という気もする。まあ、それは置いておくとすれば、最後にくっと心をつかまれて、「いや、よかった」と言わざるを得ない映画になったと思う。

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