1967年,日本,93分
監督:増村保造
原作:円山雅也
脚本:石松愛弘、増村保造
撮影:小林節雄
音楽:山内正
出演:田宮二郎、緑魔子、佐藤慶、倉石功

 洋裁学校に通う芳子はボーイ・フレンドに別れを告げた。そのとたん声をかけてきた男・安井は芳子に酒を飲ませ、マンションに連れ込んだ。翌朝目を覚ました芳子はほうほうの体で家に帰るが、そこに芳子のヌード写真を持った安井が現れる…
 「妻は告白する」につづき、円山雅也の小説を映画化。緑魔子が妖しい魅力を発散し、田宮二郎も魅力全開。増村らしい非常にウェットな映画。騙し騙され誰が本当の「大悪党」か?

 これはドロドロ。相当ドロドロ。プロットについては言うことなしです。人間の暗部をぐさりとえぐる増村らしい辛辣な物語。きれいに複線を張って物語を二転三転させる。しかも見ている側の神経を逆撫でするような残酷な物語展開がすごい。冷酷非常なプロットに怒りさえ覚えてきてしまいます。これは我々が勧善懲悪な映画を見すぎているせいなのか、それとも増村がサディスティックなのか?この映画を見て思ったのは、我々がいつも見ている映画というのがいかに平和かということ。結局我々は「正義が勝つ」と思って映画を見ている。この映画も結局正義が勝つのだからその思いは間違っていないのだけれど、それでも一度は「もしかしたらその期待は裏切られるかもしれない」という思いを抱かせるのがこの映画の力。やはりそれは田宮二郎の顔半分笑いとギラギラした目に潜んでいるのか?
 なんだか謎めいた書き方になってしまいましたが、この映画が提示する「悪」の概念というのは相当興味深いのです。結局のところ誰が「大悪党」なのか?ある意味では全員が。あるいは3人のうちの誰でもいい1人が。それは「悪」というものの取りかた次第。漫然と見ると我々は緑魔子演じる芳子に自己を同一化させていくので、安井こそが「悪党」であり、得田は味方。しかし、芳子の立場に立ったとしても人殺しをさせた得田は安井を上回るほどの「大悪党」でありうるし、むしろ自分こそが本当の「大悪党」であると胸を張ることさえ出来るかもしれない。

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