Coyote Ugly
2000年,アメリカ,101分
監督:デヴィッド・マクナリー
脚本:ジーナ・ウェンドコス
撮影:アミール・M・モクリ
音楽:トレヴァー・ホーン
出演:パイパー・ペラーボ、マリア・ベロー、アダム・ガルシア、ジョン・グッドマン

 ニュージャージにすむヴァイオレットはソングライターを目指してNYに上京した。早速空き巣に入られ落ち込んでいるヴァイオレットが入ったカフェでたまたま見かけた元気いっぱいの女の子達がバー「コヨーテ・アグリー」で働いていると聞き、翌日店に押しかけてみることに…
 NYの実在のクラブから着想を得た脚本にヒットメイカーのジェリー・ブラッカイマーがのって実現した映画。監督からキャストにいたるまでほとんどがノーネームの人材ながらかなりの完成度で、気軽に楽しく見られる作品。

 こういう種類のアメリカンドリーム話(恋愛付き)はハリウッド映画のお得意だが、数が多いわりに文句なく面白いものはあまりない。となると「プリティ・ウーマン」的な定評のある有名俳優が出演しているものを見てしまいがち。そんな中で有名な役者といえば、ジョン・グッドマンぐらいで、監督も何も聞いたことないというこの映画はかなりの掘り出し物ということになる。
 何がいいのかといえば、おそらくスピード感。ひっきりなしに流れる音楽というのもいいし、ほとんど止まることがないという印象を与える映像もいい。止まることがないというのはカメラが常に動いているというのもあるし(たとえば、ヴァイオレットと父親が会話する最初のほうの場面では、単なる切り返しなのに、カメラは緩やかにズームインしていた)、1カットが短いということもあるでしょう。後はやはり音楽ですか。屋上でキーボード弾いてるところをクレーン撮影で追うところなど、ちょっと前のMTVのミュージッククリップという感じです。映像が音楽のようにリズムに乗っていて見ているものを引き込む。そのもって生き方が非常にうまいと思います。

 そして、こういったアメリカン・ドリーム話というのは果てることがなく、人気も常にある。広大な田舎とほんの少しの都会、そんな社会状況がこういった物語を次々と生み出す。この映画の主人公の出身地はニュージャージーで別に相遠いわけではない。ニューヨークに通おうと思えば通えないわけではない。しかし、世界的に場所場所間の距離が縮まってきている現代では田舎とはそのようなものでしかないということ。日本ではその状況は特に強まり、ニュージャージというと東京に対する栃木・群馬あたりの感覚だろうか。通勤圏だけれど、そこから東京に出てくる人もやはりたくさんいる。そのような都会の夢というのは逆に都会から田舎へと出て行く人が増える中でも生きているのだなぁと思いました。
 すっかり映画とは関係のない話になってしまいましたが、要するにこの映画のニューヨークというのは田舎の人の視点から見たニューヨークで、それはもちろん日本人の見るニューヨークに近い。すさんだ都会ではあるけれど、知り合ってみればいい人ばかり。実際のところはどうかわからないけれど、イメージとしてはそういうものなのではないかしら。「都会は怖い」と言いはすれ、イメージする材料は自分の経験しかないので、尽きるところ田舎の延長でしかない。本当の経験ではもっともっと予想外のものに出会うんじゃないかという気もします。

 本当に映画とは関係のない話になってしまいましたが、この映画を2度見て、単純な娯楽としてみるその奥を見たら何が見えるか考えてみたら、そのようなことを思いつきました。広げれば「中心-周縁」の文化論見たいなものになるかもしれないので、こういうのも無駄ではないのではなかろうか。

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