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マグノリア

2000/6/30
Magnolia
1999年,アメリカ,187分

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 様々な親子関係を中心に、ロサンゼルスに住む人々の一日の出来事を描く。生き別れた息子に一目会いたいと願うアール(ジェイソン・ロバーズ)、女の口説き方をセミナーで教えるその息子フランク(トム・クルーズ)、天才クイズ少年スタンリー(ジェレミー・ブラックマン)、元クイズ少年ドニー・スミス(ウィリアム・H・メイシー)などなど。
 3時間はやはり長いが、最後まで見ればなんとなく納得。でも、もう少し短いほうがよかったような気もする。
 それぞれのキャラクターは生き生きとしていていい。こういうモザイク的な描き方というのはとても映画的。小説にしてしまうと誰が誰やらわからなくなってしまうことが多いが、映像という方法を取れば頭の中はすっきり。

監督 ポール・トーマス・アンダーソン
脚本 ポール・トーマス・アンダーソン
撮影 ロバート・エルスウィット
音楽 ジョン・ブリオン

出演 
トム・クルーズ
    メリンダ・ディロン
    フィリップ・ベイカー・ホール
    ウィリアム・H・メイシー

 

 

 

 

 
 長い。3時間の映画を3時間に感じさせてしまっては、長い映画としては失格でしょう。映画の長さというのはじっさいに計測できる時間の長さと個人個人の主観的な体感的な長さというのがあるわけですが、私にはこの映画は長かった。じっさい、この映画には3時間の集中を保たせるほどの力はないと思う。映画自体は面白いのだけれど、2時間辺りで中だるみ。前半は音楽などを使って、テンポよく話を進めていくのだけれど、中盤にそれぞれの物語が緊張感をはらむ場面になり、それから徐々に解決らしきものに向っていくというそのあまりの遅さが長さを感じさせる。そこでは音楽もあまり使われず、長い長いひとり語りやトム・クルーズの脂っこい演技が長々と引き伸ばされる。
 そしてまた、集中してみるには疲れる映画でもある。それは1カットが短くてリズミカルなようでいながら、それを音楽やボイス・オーバーでつなぎ、テンポを落としていること、またクロースアップが多く、フォーカスが短い画面が多いので、注意が一点に集中されてしまい、漫然と見ることができない。
 だから、一般的に言うともう少し短くするか、もっとハチャメチャにしてしまうと良かったのだと思う。最初から「偶然」ということがテーマになっていると明示しているのだから、もっと不思議な偶然をどんどん繰り出して摩訶不思議な世界を作ってしまえば一つの面白い映画になったのだろうと思う。
 この映画の面白さは、この映画がそのようにつまらない映画であるということにある。「つまらない」というのは見る側がその映画に対して優越感を感じるというか、この程度の映画かとわかった気になってしまうということである。人間関係を解きほぐしたり、映画の作り方を分析したり、音の入れ方について考えてみたり、いろいろなことを考えてみると、この映画を理解することは決して難しくない。しかし、この映画をにわかるということは絶対にありえない。それはこの映画が絶対的な「意味」を欠いているからであり、映画全体として一つのメッセージを届けようとはしていないからだ。見た人それぞれがそれを読み取ろうとすることは自由だが、それに正解はない。どの読みが正しくてどの読みが間違っているのかという解答はそもそもないから、この映画はどのように見てもいいし、どのように見ても映画を「理解できた」ことになる。すると映画は面白くなる。だからこの映画は「つまらない」からこそ「おもしろい」ということになるのだが、そのような仕掛け自体を「おもしろい」ということが果たしてできるだろうか?


 <完全ネタばれ>
 ということで、この映画の理解は人それぞれということなので、ここからは私の個人的な見立てということで、話を進めますが、話はやはり「カエル」のことになります。あのカエルの「意味」を観客はどうしても探してしまう。それがこの映画の作り手の考えていることであり、その「意味」が何かという問いに対しては、「意味がない」という答えも含めてさまざまな答えがある。それはつまりこの問い自体に「意味がない」ということにもなるかもしれないけれど、映画を楽しむという点ではそれぞれの意味を考えることで映画は面白くなると思う。
 1回目に見たときに私は途中ですっかり寝てしまい、このカエルの「音」で目が覚めた。ので、このときカエルは私にとっては目覚ましの意味を持った。2回目見たときに思ったのはこの映画はこのカエルのシーンのためにすべてが組み立てられているということであり、天才クイズ少年が「こういうこともあり得る」というシーンこそがこの映画の核であると思う。そのように考えたとき、このカエルの捉え方には二つの側面があると思う。一つは「オチ」、そしてもう一つは「奇跡」。「オチ」というのはこの映画全体をある種の喜劇と考える考え方で、「奇跡」というのはこの映画全体が偶然という「徴」の物語であると考える考え方になる。これを「奇跡」と呼ぶのはたとえば元天才クイズ少年のドニーが雷に打たれておかしくなってしまったのがカエルに打たれることで何かを取り戻せたのではないかとかそういうこと。
 まあ、何を書いて説得しようとしても、説得することは無理なわけで、人それぞれにいろいろな見方があるということをわかってもらえればそれでいいです。