Jackie Brown 
1997年,アメリカ,155分
監督:クエンティン・タランティーノ
原作:エルモア・レナード
脚本:クエンティン・タランティーノ
撮影:ギレルモ・ナヴァロ
音楽:ジョセフ・ジュリアン・ゴンザレス
出演:パム・グリア、サミュエル・L・ジャクソン、ロバート・フォスター、ブリジット・フォンダ、マイケル・キートン、ロバート・デニーロ、クリス・タッカー

 クエンティン・タランティーノの監督としては第4作。銃の密売をするオーデルと、スチュワーデスのジャッキー・ブラウン、保釈屋のマックス、オーディールの仲間ルイスと個性的な登場人物たちが繰り広げる、一風変わったギャング映画。
 サミュエル・L・ジャクソンやロバート・デニーロといった大スターに囲まれながら、一歩も引けを取らない演技を見せているパム・グリアが素晴らしい。タランティーノの監督技術も相変わらず秀逸で、個人的には、「レザボア・ドックス」に次ぐ名作だと思う。舞台は現代(1995年)ながら、全体に漂う70年代っぽい雰囲気も、映画に見事にはまっていて、不思議な味を出していた。

 クエンティン・タランティーノの監督技術で最も優れているのは、時間の操り方であると思う。映画というのはあらゆる芸術の中で時間の行き来が最も簡単なメディアである。それは、すなわちそれだけ、時間の扱い方が難しいということでもある。並行する出来事をどのようにあつかうのか?クライマックスへの持っていき方を操作するにはどの時間を省けばいいのか?そのような問題を考えるのにこの映画は非常にいい例を示してくれる。
 ひとつは、ジャッキーが保釈され、家に帰った場面。スクリーンが二分割され、左側(だったと思う)に車の中のマックスが、右側に家の中のジャッキー(とオーディール)が映し出される。最後に、観衆はジャッキーがマックスの車の中から銃を持ち出していたことがわかるわけだが、これは、まさに同時進行しなくては、面白さが半減してしまう場面だ。そのことは、後の場面(映画のクライマックスになるモールでの現金受け渡しの場面)と比較すると明らかだ。ここでは、同じ時間帯に起こったことをジャッキー、ルイス、マックスとそれぞれの視点から順番に映し出してゆく。そのことによって、現金の行方と人の流れが徐々に明らかになっていくのだ。
 このふたつの手法はともに時間を操ることによって画面に緊張感を持たせることを可能にしている。モールの場面は特にそれがうまくいっている。なんと言っても、ジャッキーがモール内でレイを探し回る手持ちカメラでの長回し、そして画面から伝わってくるルイスのイライラや、マックスのドキドキ、これらの要素が観客を引き込み、どこにからくりが隠されているのかという興味を持続させる。
 タランティーノはストーリーテラーとして抜群の才能をもっていると思う。

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