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映画の○○年

映画の1915〜1916年

映画の1915年 - 国民の創生

 1915年、アメリカではエジソン・トラストに対する解散宣告が最高裁によってなされていた。これは1913年に制定された反トラスト法によるもので、これにより事実上瓦解していたトラストは名実共に消滅することになった。
 これに対して独立系はフェーマス・プレーヤーズ社が力をつけ、さらにこの年にはトライアングル社が設立された。トライアングル社は当時のアメリカ映画界の大スターであるD・W・グリフィストマス・インスマック・セネットの3人を擁した。また、フェイマス・プレイヤーズ社はナンバー1女優メアリ・ピックフォードと10万ドルを超える契約を結び、スター中心のシステムの端緒を開いた。
  そんな中、D・W・グリフィスが1914年に製作した『國民の創生』が公開された。これは長編と言っても1時間弱の作品が主流の中で2時間を越える長さを持ち、製作費も当時の最高額の3倍の11万ドルをかけた破格の作品だった。さらには人種差別的モチーフから上映禁止運動が起きるなど話題にもなり、大ヒット、興行収入はなんと1500万ドルとなり、出資者たちに出資額の約20倍の利益をもたらしたという。
  この作品は大長編映画に興行的価値があることを示したことで大きな意味がある。これ以降、映画制作は大作化が進み、100万ドル単位の製作費をかけた作品も珍しくなくなって行くのだ。もちろん、表現という部分でもこれまでのグリフィスの試みを集大成するようなもので、クロスカッティング(スイッチバック)の多様、超ロングショット、マスキングなど映画表現の可能性を広げる巧妙な演出が数多く見られる。
 
  アメリカでは、これ以外にはエッセネイ社と契約したチャプリンが約月1本のペースでペースで作品を制作、エドナ・パーヴィアンスという共演者も得て、ヒットを飛ばした。またラスキ・フューチャー・プレイ社のセシル・B・デミルはこの年『チート』、『カルメン』といった作品を制作。『チート』はアメリカでもヒットするが、ヨーロッパでの人気は凄まじく、以後のヨーロッパ映画に大きな影響を与えた。

 そのヨーロッパでは、前年にエジソン・トラストと決裂したパテ社が苦境に陥り、第一次世界大戦の影響もあってフランスを中心に製作は沈滞していた。
  そんな中、フランスではアベル・ガンスルイ・デュリックがデビュー、後に印象派といわれる新しい時代がスタートを切っている。イタリアも栄光の座から滑り落ちつつあったが『カビリア』などのヒット作もまだ生まれていた。またデンマークも大戦によってドイツ以外の市場を失い、国際市場から姿を消して行くことになった。それに対して大戦で中立を宣言したスウェーデンが新たに国際市場に参入を開始、この年にはシューストレムが監督した『海の鷲たち』が初めてフランスに輸出されている。ドイツでは、トップのシェアを占めていたフランス映画の流入がストップしたことで自国の映画製作が促進されるようになった。ドイツではこの年、エルンスト・ルビッチが監督デビューを果たしている。

 日本では日活に対抗する形で前年設立された天然色活動写真株式会社(天活)が活動を本格化、日活と天活の2社体制が気づかれたが、大戦下ということもあり活動は限られていた。そんな中、輸入フィルムが増加、『ファントマ』などの連続活劇が流行し、アメリカ映画の流入も始まった。

1915年の主な作品

『國民の創生』 監督:D・W・グリフィス 出演:リリアン・ギッシュ
『チート』 監督:セシル・B・デミル 出演:早川雪洲
『チャップリンの失恋』 監督・出演:チャールズ・チャップリン
『吸血ギャング団』 監督:ルイ・フィヤード

映画の1916年 − アメリカの映画の栄華

 前年の『國民の創生』の大成功はアメリカ映画を一気に世界の頂点へと押し上げた。この年、トライアングル社はグリフィスの『イントレランス』、インスの『シヴィリゼーション』という2本の超大作を製作、『国民の創生』ほどの成功は得られなかったが、大作を作り続けることが可能なことを示した。また、グリフィス組からダグラス・フェバンクスというスターが誕生、チャプリンはミューチュアル社と67万ドルで契約、それを受けてフェイマス・プレイヤーズ社はメアリ・ピックフォードとの契約を100万ドルにまで押し上げた。これはアメリカ映画界が監督中心のシステムからスター中心のシステムへと移行しつつあることを示している。
  そんな中、アドルフ・ズーカーのフェイマス・プレイヤーズ社はジェシー・L・ラスキー・フィチャー・プレイ・カンパニーと合併し、フェイマス・プレイヤーズ・ラスキー・スタジオとなる。ズーカーはここで、ブロック・ブッキングというシステムを導入した。これは、劇場に対して1年あるいはそれ以上の独占契約を結ばせるシステムで、パラマウントは1年間週代わりで52作品を供給し、劇場はその作品を上映することが義務付けられた。これは数本のA級作品と多くのB級作品を一括して売り切る方式で、ズーカーには大きな利益をもたらしたが、劇場側には不評であまりかでは短命に終わった。

 戦禍激しいヨーロッパでは依然として映画製作は沈滞していた。特にフランスでは人材のアメリカへの流出が続き、アンドレ・アントワーヌのような若い世代が新しい時代を準備するにとどまった。そんな中でドイツとスウェーデンでは国内市場が熟成し、自国映画の製作も成長していた。スウェーデンではシューストレームとスティルレル、ドイツではエルンスト・ルビッチが注目された。

 日本では日活と天活が相争う形の映画製作が続いていたが、それよりも注目するべきはアメリカ映画の台頭である。日本でもこれまでは輸入映画といえばフランスを中心としたヨーロッパが主流であったが、この頃からアメリカ映画が数多く流入し、これがヒットした。特に喜劇が人気でこの年にはチャプリンのエッセネイ社時代の作品などがヒットした。また、ユニヴァーサル社は東京に支社を作り、以後ユニヴァーサル社の作品が大量に流入することとなった。

1916年の主な作品

『イントレランス』 監督:D・W・グリフィス 出演:リリアン・ギッシュ
『シヴィリゼーション』 監督:トマス・H・インス
『ドーグラスの好奇』 監督:アラン・ドワン 出演:ダグラス・フェアバンクス
『チャップリンの舞台裏』 監督・出演:チャールズ・チャップリン
『チャップリンのスケート』 監督・出演:チャールズ・チャップリン
『出世靴屋』 監督:エルンスト・ルビッチ