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映画の○○年

映画の1912〜1914年

映画の1912年 - 劇場形態の変化

 この頃、ヨーロッパではパテ・パラスやゴーモン劇場という中規模の劇場で映画が上映されていたのに対し、アメリカではニッケルオデオンがまだまだ主流であった。そのためアメリカではある程度の長さを持つ作品が製作・上映されることはあまりなかった。しかし、アドルフ・ズーカーというひとりの興行主がサラ・ベルナール主演の『椿姫』のヨーロッパでの成功を見て、これを輸入上映、日替わりのニッケルオデオンとは対照的に長期のロードショーを行った。ズーカーはこの成功を受けて、同じくサラ・ベルナール主演の『エリザベス女王』を輸入、これが大ヒットとなった。これによりアメリカでも長期ロードショーを行う大型の映画館が続々と建設され、映画の長編化への道を開いて行くのだ。また、アドルフ・ズーカーは製作会社としてパラマウントの母体となるフェイマス・プレイヤーズト社も設立、この年はそのほかにもマック・セネットキーストン社、IMPなど独立系が合併してできたユニヴァーサル社が設立されている。

 ヨーロッパではパテ社の勢いは依然として強かったが、フィルム・ダールと同時期に文学的な映画の製作を開始していたデンマークのノーディスク社も勢いがあり、ドイツをはじめとする中央ヨーロッパを支配していた。またイタリアも依然として国際競争力を持ち、ロシアも製作数を急速に伸ばしつつあった。ヨーロッパ各国にその勢力を伸ばしたパテ社は結果的に各国独自の製作会社によって徐々に駆逐されるようになったのである。

 日本では映画の製作・配給を行ってきた四商社(吉沢商会、横田商会、エム・パテー社、福宝堂)によるトラストが紆余曲折を経たものの無事形成され、日本活動写真株式会社(日活)に改組された。これはアメリカにはじまる映画業界の独占の流れを汲むものであり、映画産業が脆弱であった日本にあってはこの日活の創設が映画の発展に果たした役割は大きかった。もちろん、トラストに反対する小業者もアメリカ同様に数多く誕生し、後に対抗勢力と形成することになる。

1912年の主な作品

『エリザベス女王』 出演:サラ・ベルナール
『牧場の花』 出演:リリアン・ギッシュ
『カメラマンの復讐』(アニメーション) 監督脚本・撮影:ヴワディスワフ・スタレーヴィチ (ロシア)
『乃木将軍と生涯』 監督:牧野省三 出演: 尾上松之助

映画の1913年 − 文芸映画と連続映画

 フランスでは今ひとつ成功しなかった文芸映画だが、ヨーロッパのその他の地域では盛んに作られていた。特にイタリアとデンマークの作品は世界中に観客を持っていた。この年、イタリアではフィルム・ダールにはじまる文芸映画の流れのひとつの頂点ともいえる『クォ・ヴァヂス』が製作されている。チネス社が製作したこれはヨーロッパはもちろんアメリカ、そして日本でも多くの観客を集め、チネス社に大きな利益をもたらした。この作品の大きな特徴は書割ではなく、立体的なセットの中で古代ローマ人たちの饗宴が描かれたことで、その迫力が大衆とエリートの両方を魅了したのである。
  一方フランスでは“連続映画”というジャンルが流行していた。これはいわゆるシリーズもので、ひとりの主人公が登場するシリーズで、その多くは犯罪映画だった。その中で最初のヒット作といえるのは1911年のエクレール社「ジゴマ」であり、この作品は世界中でセンセーションを巻き起こした。そして1913年にはゴーモン社のルイ・フィヤードにより「ファントマ」シリーズが開始され、世界中の観客を熱狂させた。

 アメリカではいよいよ作品の長編化と上映の長期化が本格化し、トラスト側でも『クォ・ヴァヂス』をアスター劇場(入場料はニッケル・オデオンの倍)で22週間上映した。
  作品としてはグリフィスらの作品のほか、喜劇も盛んで、初期の喜劇王の一人であるマック・セネットが独立系のキーストン社で活躍していた。また、ジェシー・L・ラスキー、サミュエル・ゴールドウィンはジェシー・L・ラスキー・フィチャー・プレイ・カンパニーを設立し、長編映画の製作に乗り出した。アメリカ映画の黄金時代がいよいよ近づいてきていたのである。

 日本では日活が向島撮影所を建設、旧横田商会の京都撮影所との2撮影所体制を確立し、向島では現代劇を、京都では時代劇を撮影するというシステムが完成した。しかし作品の質という面では吉沢商会時代の目黒撮影所と代わり映えのしないものであった。

1913年の主な作品

『クォ・ヴァヂス』 監督:エンリコ・ガッツォーニ 出演:アムレット・ノヴェリ
『ファントマ』 監督:ルイ・フィヤード 出演:ルネ・ナヴァール
『プラーグの大学生』(ドイツ) 監督:シュテラン・ライ 出演:パウル・ヴェゲナー
『ハネ子の計略』 監督:マック・セネット 出演:メーベル・ノーマンド

映画の1914年 − チャプリンのデビュー

 独立系の伸張が続くアメリカで、マック・セネットが所属するキーストン社からひとりの喜劇役者がデビューした。その喜劇役者チャーリー・チャップリンはカーノ劇団の一員としてイギリスからアメリカにやってきていたところで目に留まり、スカウトされたのだ。デビュー作は『成功争ひ』という作品で、その後毎週1本の作品に出演、同年に『チャップリンの総理大臣』で監督としてもデビューしている。チャプリンが本格的に活躍するのはエッセネイ社に移籍してからだが、キーストン社に所属していたこの頃に彼のスタイルは形作られて行った。
  そして、独立系の伸張はそれにとどまらず、ジェシー・L・ラスキー・フィチャー・プレイ・カンパニーはこの年、ハリウッド初の長編映画となる『スコウ・マン』をセシル・B・デミルらの監督で製作する。このジェシー・L・ラスキー・フィチャー・プレイ・カンパニーもフェイマス・プレイヤーズ社と同様パラマウントの母体となるのだが、彼らがハリウッド映画の長編かを牽引して行ったのである。

 ヨーロッパでは、ロシア映画がいよいよ完成の域に近づいてきていた。長らくフランスを中心とした外国映画に市場を独占されてきたロシアだったが、1911年以降、自国の製作本数が急増、この年には270本が制作され、長編も数多く作られるようになった。なかでもウラジミール・ガールジンが監督した「アンナ・カレーニナ」はロシア全土でヒットし、ロシア映画の国際的なヒットを準備した。

 日本では日活が向島撮影所を建設、旧横田商会の京都撮影所との2撮影所体制を確立し、向島では現代劇を、京都では時代劇を撮影するというシステムが完成した。しかし作品の質という面では吉沢商会時代の目黒撮影所と代わり映えのしないものであった。

1914年の主な作品

『成功争ひ』 監督:ヘンリー・レアマン 出演:チャールズ・チャップリン
『チャップリンの総理大臣』 監督・出演:チャールズ・チャップリン
『マクベス』 監督:D・W・グリフィス
『スコウ・マン』 監督:セシル・B・デミル
『カビリア』 監督:ジョヴァンニ・パストローネ 出演:ウンベルト・モッツァート


1914年のその他の作品

1914年のチャップリン 監督:ヘンリー・レアマン他 出演:チャールズ・チャップリン