映画の1909年 - 独立系映画の誕生
1908年に誕生したエジソン・トラストはアメリカの映画界を支配した。しかし、そのトラストに反対する人々は“独立系”の映画を製作し始める。その中のひとつがインディペンデント・モーション・ピクチャー社(IMP)である。IMP社は1909年に最初の作品を制作するが、撮影機材などをトラスト側が握っていたために、トラストと独立系の間で訴訟が繰り返されるようになる。 そんな中、トラスト側の各社は順調に映画制作を続けて行った。なかでも注目されるのはやはりバイオグラフ社のD・W・グリフィスである。この年、グリフィスは昨年に続き、意欲的に作品を撮った。モチーフとしては目新しいものはなかったが、カットバックの使用や人工照明の研究など、後につながる様々な手法の探求を続けていた。
そんな中、注目すべきはヴァイタグラフ社である。設立者でもあるブラックトンを中心とする演出家たちはフィルムダールの作品を研究、1908年から<実生活の情景>というシリーズを開始、ここでクロースアップ、節度ある演技、推敲された脚本という要素によって従来とは異なる作品を生み出している。そして歴史や有名な小説に題材をとり、アメリカにおけるフィルムダール的作品の先駆となった。
そのフィルムダールはこの年も旺盛に作品を制作したが、相変わらず大衆受けはよくなく、俳優たちの出演料も高額だったことから早くも行き詰まりはじめていた。そんな中、好調だったのはパテ社の子会社であるスカグル社である。スカグル社は一般大衆を観客として想定し、ユーゴーやゾラと言った人気作家と契約、彼らの作品を映画化することでヒットを生んだ。1909年にはゾラの「居酒屋」などが映画化されている。
またこの年エクレール社がフィルムーダルを離れたコメディ・フランセーズの役者たちを使って<演劇映画>を製作、これは翌年以降、劇作家映画協会による<文芸映画シリーズ>へとつながって行く。そして、イタリアへもフィルムダールの影響が及び、アンブローシオ社が<黄金シリーズ>と題して文芸映画を制作し始めた。
日本では牧野省三が尾上松之助を主人公とした立ち回り映画を数多く撮った。この尾上松之助は大きな目が印象的で「目玉の松ちゃん」の愛称で親しまれ、日本最初の映画スターとなった。
1909年の主な作品
『小麦の買占め』 監督:D・W・グリフィス
『帽子はお脱ぎになって』 監督:D・W・グリフィス 出演:マック・セネット
『偽証の女
』 監督:ルイジ・マッジ
『碁盤忠信源氏 礎』
監督:牧野省三 出演:
尾上松之助
映画の1910年 − スター誕生
アメリカではトラスト側と独立系の競争が続いていた。エジソン・トラストはIMPを中心とする独立系の映画制作を阻止するため訴訟を次々に起こすが、独立系の制作者は闇ルートで機材や生フィルムを手に入れ製作を続けた。イーストマン・コダックは利益のため独立系の会社にフィルムが渡るのを黙認したという。
そんな中、独立系はスターの引き抜きという形でトラスト側に対して攻勢をかける。IMPはバイオグラフから最初の映画スターのひとりであるフローレンス・ローレンスやメアリー・ピックフォードを引き抜いた。そしてこの年設立されたリライアンス社もバイオフラフ社からグリフィスのスターたちを引き抜いた。
この頃に確立されたクロースアップの手法によって、アメリカの映画界はスター中心の構造を持つことになり、それが果てしなく続くスターの引き抜き合戦の引き金となったのである。
ヨーロッパではフィルムダールが停滞する中、他社は文芸作品よりも喜劇を中心に製作を進めた。そんな中、エクレール社がはじめた<演劇映画>はこの年に劇作家映画協会によって<文芸映画シリーズ>と改められ、これはある程度の成功を収めていく。また、イタリアではフィルムダールの影響を受けた文芸映画が数多く作られ、文芸映画の中心はフランスからイタリアへと少しずつ移って行くのである。
日本では牧野省三と尾上松之助の映画が引き続きヒットし続けた。この作品群は特に子供たちに人気で松之助のマネをしてチャンバラごっこに興じる子供たちが怪我をするという事件が多発して、大人たちが映画に眉をひそめるきっかけとなった。
しかしもちろん大人たちも松之助映画を楽しみ、1912年までに168本もの主演映画が作られたのである。日本の映画制作はまだまだ黎明期にあったが、既に時代劇スターを中心とする製作体制のほうがが見られたわけである。
1910年という年は、映画がスターを中心に展開して行く産業であるということが明らかになってきた年であるといえるだろう。
1910年の主な作品
『不変の海』 監督:D・W・グリフィス 出演:メアリ・ピックフォード
『フランケンシュタイン』 監督:J・シェール・ダウリー
『オズの魔法使い』 監督:オッティス・ターナー 出演:ベーブ・ダニエルズ
『忠臣蔵』
監督:牧野省三 出演:
尾上松之助
映画の1911年 − グリフィス、ランデー、『ジゴマ』
アメリカではエジソン・トラストと独立系の間の競争が続いていた。トラスト側のバイオグラフ社では相変わらずD・W・グリフィスの作品が好調で、初の2巻ものとなる『イノック・アーデン』(上映時間17分)も撮った。また早くからフィルム・ダールに注目し文芸映画の制作に力を入れてきたヴァイタグラフ社はこの年「二都物語」を映画化した<ヴァスティーユの占領>が興行的な成功を収めていた。
他方、独立系ではモーション・ピクチャーズ配給会社が設立され、トラスト側の配給元であるジェネラル・フィルム社に真っ向勝負を挑んだ。そしてこの年、当時配給業者だった現在の20世紀フォックスの創設者ウィリアム・フォックスはジェネラル・フィルム社との契約を破棄して、独立系に乗り換えた上、MPPC(モーション・ピクチャー・パテント・カンパニー:トラスト側の統括会社)を反トラスト法違反で告発した。この頃から独立系とトラスト側の競争は独立系の優位に動いていったようである。
ヨーロッパではフィルム・ダールを中心とした文芸映画は低調で、それとは対照的にマックス・ランデーらの喜劇映画が好調、さらには連続映画も流行し『ジゴマ』が大ヒットを記録した。であった。そんな中、順調に力を蓄えていたのがイタリアで、貴族の庇護の下スペクタクル映画を中心に国際的なヒットを行く作品も生み出している。作品の質としてはまだまだ発展途上であったが、ほとんどアメリカとフランスによって独占されていた市場に初めて風穴を開けたのがイタリアであったのだ。
日本では牧野省三と尾上松之助の映画を中心に映画産業は順調な伸びを示していた。そんな中、映画の伸張に危機感を感じた演劇界は映画に出演した俳優を使わないことを決議し、映画に対抗する作をとった。この結果、舞台役者によって占められていた映画出演者の構造は変化し、各映画会社は専属の役者を雇うようになった。しかも、劇団が丸ごと映画会社に抱え込まれるというケースも多く、映画は既に演劇を凌ぐ大衆文化への道を歩み始めていた。
1910年の主な作品
『イノック・アーデン』 監督:D・W・グリフィス
『地獄篇』 監督:フランチェスコ・ベルトリーニ他
『ジゴマ』 監督:ヴィクトラン・ジャッセ 出演:ベーブ・ダニエルズ
『キナ入り葡萄酒の犠牲者マクス』 監督・出演:マックス・ランデー
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