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増村保造に関する覚書
◇「増村保造って?」
◇「増村保造と女優」
増村保造って?
<略歴>
増村保造は1924年生まれ、東京大学卒業後の1947年大映に助監督として入社。1951年にイタリアへ留学。帰国後、溝口健二、市川昆の助監督を務め、1957年に「くちづけ」で監督デビュー。その後大映専属の監督として48本の映画を監督。若尾文子とは20本でコンビを組んだ。大映を離れたあともATG、勝プロなどで作品を撮りつづけ、1970年代後半からはドラマの脚本・演出も手がけた。
1986年、62歳でなくなるまでに57本の監督作品を残した。
<特徴>
増村保造の映画とはどのようなものなのか、ここでは増村を見たことのない人が見ようという気をそそられるように、乱暴に見ていきましょう。
1、早い
増村映画は早い。特に初期の作品は話の展開も台詞回しも早い。
2、艶やか
増村映画には艶やかな女優さんがたくさん出てくる。なんといっても若尾文子だが、そのほかにも野添ひとみ、京マチ子、安田道代、渥美マリなど、女性を主人公にした作品がたくさん。
3、美しい
増村映画は美しい。しかもその美しさは調和の取れた美ではなく、乱暴でありながら微妙なバランスを保つ美。特にフレームの切り方に注目してください。
4、多様
増村の作品は多様である。コメディからロマンス、サスペンス、時代劇、戦争物、ヤクザ物まで多岐にわたっている。それでもすべてに通じる「増村らしさ」。それにはまってしまったら、もう抜け出すことは出来ません。
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増村保造と女優
増村保造の作品を見て、なんといっても目に付くのは女優さんたち。特に大映時代の若尾文子をはじめとする女優さんたちには男性なら誰でも魅了されることでしょう。そんな「女優もの」を時代を追ってみていきましょう。あくまで私見なので、目くじら立てずに見てください。
1 初期(『くちづけ』〜『美貌に罪あり』)
この時期、増村は野添ひとみ・若尾文子を中心に起用した。しかしこの時期で最も心奪われるのは川口浩の存在。今となっては川口浩探検隊で知られる(それすらもう忘れられてるか)川口浩もこの頃は二枚目で、どの作品でも重要な役回りを受け持ち、印象深い演技をしている。
この頃の増村映画のもうひとつの特徴はテンポの速さ。普通の映画とは違う異常に速いテンポで映画は進み、台詞まわしまでも早く、前のセリフが終わるのを待ちきれないとばかりにぽんぽんとセリフが繰り出される。しかし映画全体がせわしなくなるということはなく、軽快なリズムに乗ってあっといまに90分間が過ぎるという感じ。まさにモダニズム。
この時期の一番のお気に入りは『最高殊勲夫人』。速いテンポのコメディタッチの傑作で、増村にとってひとつの完成形であると思う。出来れば初期の荒削りな『青空娘』とあわせて見て欲しい。
2 中期(『女経 第1話「耳を噛みたがる女」』〜『妻二人』)
『美貌に罪あり』あたりで、コメディ路線からシリアス路線へとシフトしていった増村はこの時期「男を狂わせる女」を描く。その中心にいたのは若尾文子。8年間で10本もの映画でコンビを組んでいる。若尾文子はその美しさで男を狂わせる。
初期に比べると映画のテンポは落ち着き、より大人な隠微なイメージが画面にあふれる。画面の片側に人物を寄せるという構図もこの頃の増村映画に特徴的なものだ。画面の中心にもってくるのが普通の人物(特に話し手)が画面の端にいるという構図は人のいない側の画面の使い方によってえもいわれぬ美しいものになるということを増村は教えてくれた。
この時期ではなんといっても『赤い天使』がいい。激しさと美しさを兼ね備えた珠玉の映画。他には、宮川一夫がカメラを持った『刺青(いれずみ)』もその美しさが非常に印象的。
3 後期(『痴人の愛』〜『遊び』)
『痴人の愛』の安田道代は衝撃的だった。若尾文子の持っていた女の貞節といったものをかなぐり捨て、とにかく奔放に生きる女。それは増村映画が中期よりもより過激に、より淫靡になっていくことを意味した。事実この時期、増村×若尾コンビの作品は4本。増村はそれよりもそれほど有名ではない女優を起用して野心的な作品を撮っていった。
この時期ではやはり『痴人の愛』。ほかの監督が撮った『痴人の愛』とは明らかに違うその世界がすごい。そのほかでは『でんきくらげ』の渥美マリがすごい。
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