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2001年9月15日のエッセイ |
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今日はいつもと違います。映画も出てきますが、基本的には今回のテロ事件について考えています。非常に痛ましい事件ですが、これから起こってしまうであろうアメリカの報復攻撃と、世界中の国々を巻き込まずにはいない限りなく戦争に近いものにはあくまで反対したいと思っています。
FBIなどは首謀者はラディン氏であると断定しているようですが、ラディン氏が首謀者であるとしたならば、おそらく多くのムスリムも死んだであろうこの事件で彼は厳格なイスラム法のもと死刑を宣告されるでしょう。この事件がジハードと認められれば別でしょうが、そう認められることはまずありえない。したがって、彼はアメリカをはじめとする資本主義諸国に加え、イスラム教国にとっても犯罪者となる。そこで彼がどのような行動の出るかは分かりませんが、おそらくイスラム教国のどこかが彼の身柄を握っていることは確かで、彼はイスラム法にのっとって死刑の判決が下されることとなることでしょう。
未だに理解できないアメリカのヒステリックな裁きが実行される前に、イスラムの国々自らが彼を罰してくれることを切に願います。それによってアメリカが自分達とは異なる価値観が存在しえるんだということを認識すればなおいいのですが。ラディン氏という1人のテロリストと対峙することで、アメリカとイスラム諸国が協調できるようならさらに望ましいことです。
昨日、なんとなく『シザーハンズ』を見ていましたが、これは大衆のヒステリックが1人の男を悲劇に導いてしまう映画で、またも痛ましい気持ちになりました。映画は素晴らしく、エキセントリックな色彩と、ハサミの手というひとつの特徴を加えることで成立する物語という素朴な映画の形がそこにはありました。
しかし、そこで描かれている集団ヒステリーのような現象は軍事評論家達が口をそろえて言う「報復をしないとアメリカ国民が許さない」という言葉を思い出させます。自分達がしてきたことを棚に上げて、自分達に与えられた危害に対する報復を求める。これはアメリカ人に限ったことではないですが、アメリカではそれが顕著なような気がしてしまいます。
多分久米宏サンだと思いますが「アメリカ人はアラブ人が自分達と同じ命をもっていると考えることができないのか?」といっていました。まさにそのとおりというか、アラブの人々がアメリカやアメリカが「支援する」イスラエルの攻撃によってどれだけの命を奪われたのか、どれだけの肉親を奪われたのかということを想像することができないのではないでしょうか? NYで肉親を探す人々の映像のあと、「予備兵を集める」だのといっているアメリカの政治家達を見るたびにがっかりします。
テロリズムを正当化するわけではありませんが、テロリズム以外に抵抗の手段がない人々もいるということを考える必要があるかもしれないと思いながら『アルジェの戦い』を思い出したりもしました。
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