ハリーとトント
2010/2/19
Harry and Tonto
1974年,アメリカ,117分
- 監督
- ポール・マザースキー
- 脚本
- ポール・マザースキー
- ジョシュ・グリーンフェルド
- 撮影
- マイケル・C・バトラー
- 音楽
- ビル・コンティ
- 出演
- アート・カーニー
- エレン・バースティン
- チーフ・ダン・ジョージ
- ラリー・ハグマン
70も過ぎたハリーはニューヨークで猫のトントと二人暮し。しかし長年住み慣れたアパートが取り壊しになり、やむなく長男のバートの家に、しかしいろいろと気を遣わせる暮らしのため、息抜きのために娘のシャーリーがいるシカゴに行くことに。しかし空港でまたトラブルを起こし…
じいさんが人生初めての放浪の旅に出るロードムービー、偏屈なようでいてやさしいハリーがとてもいい。
アパートが取り壊されるというのに立ち退こうとしないハリー爺さん、いかにも頑固そうである。相棒の猫トントとともに息子のバートの家に世話になり、孫の一人ロバート(といってももう大人)と同じ部屋に寝る。頑固で偏屈なハリーだが、決してわがままで勝手な老人というわけではない。無言の行(70年代の映画でたまに見かけるが流行っていたんだろうか?)を続けるロバートとも仲良くやっているし、気を遣わざるを得ない嫁のことも慮る。
そんなこんなでとりあえずバートの家からはお暇することにしたハリーはシカゴに住む娘のシャーリーのところに向かうことにする。しかし、空港で偏屈さをまた出して飛行機に乗れず、バスからも追い出されて車を買うという始末、ここからハリーの放浪の旅が始まるというわけ。
ハリーは根本的には優しい老人だ。家族はもちろん、旅の途中で出会った人々にもやさしさをもって接する。まあ老人だからここは譲れないという頑固な部分もあるけれど、いわゆる頑固親父のいらだたしい感じとはまったく違う。彼は年齢や性別や人種や信条の違いを尊重するというよりは気にも留めず、わけ隔てなく接する。この映画はじいさんが気ままな旅を続けているだけの物語に見えるが、実際は旅での出会いを通して人との接し方、他人というものをどう考えるかということを伝えてくる作品だ。
映画の終盤にハリーはチェスをしながら哲学者じみた男と「人間は一人一人違っている」ということについて議論する。ハリーは人間はみんな違っているというが、その男は根本的なところでは同じだという。ハリーがすごいのは違うことを認めた上でそれをまったく気にしないということだ。
私が思うにハリーは「人間なんてみんな違うに決まってるんだから、どうして違っているということを気に掛ける必要があるのだ?」といいたいのではないだろうか。彼のわけ隔てない態度はそんな考え方から来ているように私には思える。
世の中は変わる、人も変わる、しかしいくら人が変わったからといって、みんな違うということは変わらない。人々はその違いをいつも気にする。白人だ黒人だユダヤ人だ何だ、でもそんなことにいったいどんな意味があるのか。
ハリーの無二の親友であるトントは猫だ。人間と猫は違う、でも彼らはどこかで通じ合っている。人間同士もそんな風ではいけないのか。
このじんわり来る感じは何だろう。シンプルにして深みがある。そういう人物像を作り上げ、その人物の温かみがじわりじわりとにじみ出る旅の舞台を用意した、その脚本の妙に拍手を送りたい。観終わって、考えさせられるというよりは、味わいなおすことで自分の心の中にも思いやりとか温かみというものが湧き出てくる、そんな感じ。いつまでたっても色あせない魅力がある。
そして猫がかわいい。
