グラン・トリノ
2010/1/2
Gran Trino
2008年,アメリカ,117分
- 監督
- クリント・イーストウッド
- 原案
- デヴィッド・ジョハンソン
- ニック・シェンク
- 脚本
- ニック・シェンク
- 撮影
- トム・スターン
- 音楽
- カイル・イーストウッド
- マイケル・スティーヴンス
- 出演
- クリント・イーストウッド
- ビー・ヴァン
- アーニー・ハー
- クリストファー・カーリー
妻に先立たれた頑固な老人ウォルト・コワルスキーは息子や孫たちから怖がられ、疎んじられている。長年住まう界隈も今では隣人がアジア人でばかりになり、朝鮮戦争の帰還兵であるウォルトはそのことにも悪態をつく。そのウォルトの隣に住むモン族の少年タオは気弱でいとこたちチンピラに絡まれており、ウォルト自慢の車グラン・トリノを盗むようそそのかされる…
イーストウッドが異なる文化背景を持つ人々の衝突と交流をユーモラスに描いたヒューマンドラマ。温かみのある笑いがいい。
頑固親父イーストウッドが妻に先立たれ、息子たちを寄せ付けず、近所のアジア人たちともけんか腰で大きな家で一人暮らしをする。そんな話だから深刻な内容なのかと思いきやさにあらず、不思議なユーモア感覚でぐいぐい観客を引っ張る面白いドラマになる。
いつも庭に星条旗を掲げるごりごりの愛国主義者の親父が隣家のアジア人との間に交流を持つようになると書くと、なんだかありがちな文化的なギャップを乗り越えて見たいな話になるのではないかと予想がつく。しかしそこはクリント・イーストウッド、そんなありがちな話にはしない。
まず、この主人公のウォルトがまったくステレオタイプにはまらない。頑固は頑固だし、差別主義丸出しなのだが、見ていくうちにだんだん彼の差別的な発言というのは人種を理由に他の人々を蔑んでいるのではなく、差異を強調することによってコミュニケーションをとろうという手段なのだということがわかる。
それが一番傑作な形で出てくるのが、隣家のモン族の少年タオと仲良くなり、男らしい会話を学ばせようと行きつけのイタリア人の床屋に連れて行くシーンだ。ここでウォルトとその床屋はその出自(ウォルトはポーランド系らしい)を持ち出して罵り合っているだけだ。しかし、彼らはそれを楽しんでいる。
これはおそらく、異なる文化的背景を持つ人々が集まってできた国であるアメリカ人が昔から持っていたものなのではないか。今は政治的に正しく無いだ何だといわれてそんな軽口をたたくこともはばかれるようになってしまったけれど、むしろ日常的にそういう会話をしていくことで、その差異をなんでもないことと捕らえているということを相手に繰り返し示していることになるのではないか。
あるいは、ウォルトがタオの家のバーベキューに呼ばれるシーン、モン族たちに囲まれてもウォルトはわが道を行く。だが傲慢なわけではなく、自分と他人の境界をきっちりと引き、その境界を守っている限り互いを尊重するという原則に従っているのだろう。それは映画の最初から彼が固執する彼の家の芝生という境界線に象徴的に表われている。
そしてこの境界の位置は不変ではなく、イタリア人の床屋との関係のようにその差異を尊重しながら理解しあうことができれば、境界線が彼の心の個人的な空間へと近づいていくこともあるわけだ。
そう考えると、ウォルトが庭に掲げている星条旗の意味の捉え方も換わってくる。いまや星条旗というとパトリオティズムの象徴で、ネオコン的な考え方の表出のように捉えられがちだけれど、星条旗には異なる文化的背景を持つ人々が共存し共栄するという願いもこめられているのだ。
クリント・イーストウッドはこの作品を通してそんなことを観るものに訴えかけているのではないか? 観るときは単純に笑って楽しめばいいが、この作品を気持ちよく笑え、素直に納得できるというその理由を考えるとき、そこにこめられた意味が見えてくる。
アメリカに希望を持ち続けるイーストウッドらしい傑作。
