懺悔
2009/12/12
Monanieba
1984年,ソ連,153分
- 監督
- テンギズ・アブラゼ
- 脚本
- テンギズ・アブラゼ
- 撮影
- ミヘイル・アグラノヴィチ
- 音楽
- ナナ・ジャネリゼ
- 出演
- アフタンディル・マハラゼ
- ゼイナブ・ボツヴァゼ
- エディシェル・ギオルゴビアニ
- ケテヴァン・アブラゼ
皆に愛された市長のヴァルラムが亡くなった。市民たちは悲しみにくれるが、埋葬の翌日からヴァルラムの遺体が掘り起こされ家に戻されるという事件が3晩続く。警察が出動しヴァルラムの孫によって捕らえられた犯人ケテヴァンは裁判の席でヴァルラムを安らかに寝かしては置けない理由を語り始める…
ソ連時代のグルジアで制作された社会派ドラマ。体制批判的な映画が公開されたことでペレストロイカの象徴的な存在となり、ソ連各地で多くの観客を動員した。
市民のための施政をひいてきたと思われていたヴァルラムの死後、彼の遺体が幾度も掘り起こされるという事件が起こり、その裁判の中で彼の生前の行状が明らかになっていく。根拠のない誹謗中傷をもとに無実の(と思われる)人々を逮捕し、無理やりに罪を認めさせる。遺体を掘り起こした犯人の父もそんな政治の犠牲者だったのだ。
この映画ではそのような逮捕者が殺されるというシーンはないが、ケテヴァンの父親で若き画家であるサンドロは行方がわからなくなり、強制労働に従事させられているらしいということはわかる。そして残された家族は困窮し、最後には母親も逮捕されてしまう。はっきりと言われてはいないが、その理由というのがヴァルラムがサンドロの妻ニノに好意を持ったのも一因であることがほのめかされる。
そんな不合理な政治が描かれるのがこの映画だ。まあしかし平和の中に安穏と暮らしている私たちにしてみれば繰り返し語られている歴史の闇を描いた映画のひとつに過ぎないという気はする。それぞれのエピソードもじっくりというか慎重に描かれていてスピード感がなく、中盤あたりからは眠気も感じてしまった。歴史の証言として貴重なことはわかるが…
しかし、この映画のすごいところはこれが1984年の映画だというところにある。まだソ連時代のしかもグルジアという決して中心ではないところから現れた映画が真っ向から政治を批判する。もちろんその政治は今現在の政治ではなく、数十年前のものではあるけれど、ヴァルラムの恰幅のよさや行動はそうしてもスターリンを想起させ、この映画がスターリン時代を批判的に振り返るものであることは誰の目にも明らかなのだ。
ソ連では映画は政府による厳しい検閲の元で制作されてきた。その体制の中でこのような映画が日の目を見たということは、体制がそのような表現を容認したことに他ならない。
この映画が作られたのは1984年だが、ソ連で公開されたのは1986年。その間の1985年にゴルバチョフが書記長となり、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)が本格的に推進されるようになったのだ。
そんな時間軸で捕らえれば、この映画がまさにペレストロイカというソ連の変化の始まりを象徴的に示す映画だということがわかる。そして、時代の空気を察していち早くこのような映画を製作したグルジアの製作者の気概にも頭が下がる。この映画の監督テンギズ・アブラゼはグルジア映画界の巨匠と呼ばれ、この作品は「祈り(68)」、「希望の樹(77)」に続く“懺悔三部作”の最終作と位置づけられている。前2作は未見だが、制作直後に公開されているところを見るともっと穏やかな内容なのだろう。
そんな意味でこの映画はソビエト映画の分水嶺といえる作品なのだと思う。ペースは遅いが決してつまらない映画ではない。こういうスピード感というのもある種の文化なのだろうなどとも思う。
