悲しみのミルク
2009/11/25
La Teta Asustada
2009年,ペルー=スペイン,95分
- 監督
- クラウディア・リョサ
- 脚本
- クラウディア・リョサ
- 撮影
- ナターシャ・ブリアー
- 音楽
- セルマ・ムタル
- 出演
- マガリー・ソリアー
- スージー・サンチェス
- エフライン・ソリス
- マリーノ・バロン
母をなくし悲嘆にくれるファウスタは医者に膣内にジャガイモが入っているといわれる。叔父ら家族はファウスタが母乳から母親の恐怖がうつった“恐乳病”であると知っている。そんなファウスタが母の葬儀の費用を賄うため屋敷で働き始める…
ペルーの新鋭クラウディア・リョサが描く不思議な世界、ベルリン映画祭で金熊賞を受賞。
歌を歌いながら死んでゆく母親、その歌が語るのは彼女が経験した悲惨な体験。これは実際にペルーで1980年代から90年代に山間部のゲリラによって行われた、レイプ、虐殺、強奪の記憶である。母はその記憶を抱えたまま死に、娘ファウスタはそれを目撃し、さらには母の母乳からその恐怖を伝えられて“恐乳病”(La Teta Asustada=悲しみのミルク)となる。
これは要するにトラウマだ。極限的な恐怖のせいで常に心ここにあらずの魂が抜けたような状態になってしまう。そしてすぐに鼻血を出す彼女は、母の死の直後に失神し、病院に運ばれる。その病院で明らかになるのはファウスタの膣内にじゃがいもがあるという事実、しかも叔父もそのことに驚かず、ファウスタもそれを取り除くことを拒否する。
これは、膣内にジャガイモを入れることで強姦者が気味悪がり、その行為をあきらめるという究極の予防策であるのだという。世の中が平和になってもそのジャガイモを取り除くことができないファウスタの、心に巣食う恐怖の深刻さがよくわかる。
彼女の行動は見ていて本当にいらいらさせられる。すべてに対して及び腰でためらいが長いために行動も遅い。それはもちろん彼女が抱え続けている恐怖心のせいだ。観客はそんな彼女をじりじりしながら見つめるしかない。
そんな彼女を主人公とした物語が展開するのは、彼女が勤めることになった屋敷でだ。彼女を歌を聴いてその歌に興味を示す女主人や、彼女に優しく接する庭師が彼女の心をゆっくりと解いてい行く。しかしそれで彼女が幸せになっていくというわけでは必ずしもない。庭師はともかくも、女主人が彼女のことを理解できるわけはなく、音楽家として彼女の歌に惹かれたというだけなのだから。
ファウスタは女主人に対して心をわずかばかりほぐしながら、もうひとつの問題である母親の埋葬に対処しようと頑張る彼女は村に埋葬したいが彼女も叔父もお金がない。そのために彼女は恐怖を抑え込んで働く。
これは本当に悲しい物語だ。ゲリラによるテロが生んだ悲劇、その行為自体は終わっても、その傷跡はいつまでも残る。それはどんな歴史的な悲劇を見ても同じことだ。どうして人は同じことを繰り返さなければならないのか?
彼女は働いている屋敷の居室で膣から出てきたジャガイモの芽を切る。これはもしかしたら彼女が自分のうちから生まれてくる希望の芽を摘んでいることを意味するのではないか? 植物はどんな逆境に置かれてもそこから新たな命を芽吹く、彼女に必要なのはまさにその新しい命のはずだ。しかし彼女はその芽を摘み続ける。そこに表われる彼女の心は絶望しかないのではないか。
しかしそれでも人生は続く。彼女は生きている。それも非常に重要なことだ。
