そして、私たちは愛に帰る
2009/11/13
Auf der Anderen Seite
2007年,ドイツ=トルコ,122分
- 監督
- ファティ・アキン
- 脚本
- ファティ・アキン
- 撮影
- ライナー・クラウスマン
- 音楽
- シャンテル
- 出演
- バーキ・ダヴラク
- トゥンジェル・クルティズ
- ヌルギュル・イェシルチャイ
- ハンナ・シグラ
- ヌルセル・キョセ
- パトリシア・ギオクロースカ
ドイツ、ブレーメンに暮らすトルコ出身のアリは娼婦イェテルを気に入って一緒に暮してくれないかと持ちかける。しかしイェテルと息子で大学教授のネジェットと家で食事をしていたアリは突然の心臓発作に倒れてしまう。退院し気難しくなったアリはイェテルを過って死なせてしまい…
『愛より強く』などのトルコ系ドイツ人監督ファティ・アキンによるヒューマンドラマ。
この映画の物語をつむぐのは6人、物語の発端となるトルコ人のおっさんアリ、そしてそのアリが見初める娼婦のイェテル、そしてアリの息子ネジェット。最初はその3人で展開し、別の物語としてイェテルの娘アイテンと彼女が出会うロッテ、そしてその母スザンヌが物語をつむぎ、そのふたつの物語はイスタンブールで出会う。
その6人は運命の糸で結ばれているようにさまざまなところで係わり合い、あるいはすれ違っていく。もちろん映画のシナリオだからなわけだが、こういう風に交わりそうで交わらない物語というのは魅力がある。見ている方はその関係性がわかっているのに登場人物たちは気づかない、そのドキドキ感というのはわかっていても感じてしまうロマンではないか。
そしてこの作品ロマンの根底にあるのは人と人とのつながり“愛”だ。特に親子の愛、そして純粋に人間同士の愛。ここでも運命の糸というのは愛によって動かされてゆく。人間の運命というのは関わる人によって決まるものなのだということをこの作品はそっと語るようだ。
はっきり言ってこの映画に登場する人々は誰も幸福ではない。むしろ不幸や絶望から逃れることで必死のような人々だ。でも彼らをかわいそうだとは思わない。彼らは幸福とは言いがたいが愛する人のために懸命に生きている。その生き方からはなんだか伝わってくるものがある。
そして、この映画で一番秀逸だと思えるのは時間の流れ方だ。この物語の時間の流れ方は一定ではなく、突然何の予告もなく数週間とか数ヶ月と思われる時間が飛んで過ぎる。ひとつのシーンが終わり、次のシーンが始まるとそこに長い空白の時間があることが幾度かあるのだ。一応どの場合でも伏線はあるのでしばらく見ていればそれが直後の出来事ではなくしばらく経った後の出来事だということはわかるようになっている。
しかしそれが具体的に何日なのか何ヶ月なのかということは明らかにされない。そしてその飛ばされる時間は基本的には「待つ」時間である。そして待ちながら日常に忙殺されているであろう時間でもある。彼らは愛する人を待って時間を殺しながら生きる。その時間はここでは描かれないけれど、描かれないからこそ慮ることができる心情がそこにはある。
こういう直線的ではない時間とらえ方を見るたびにちょっとした違和感を感じるのはそれが西欧的な感覚とはずれているからだ。違和感は感じるがいやな感じではない。むしろその間とか奥行きに魅力さえ感じる。やはり監督の出自がトルコ系ドイツ人ということから来るのだろうか。アジア的な感覚と西欧的な感覚の両方を持ち合わせているものに私はどうも魅かれるようだ。
人間はどこにいたって人間、それは当たり前のことだけれど、その当たり前のことを改めて考えさせてくれる、そんな作品なのかもしれない。
