空気人形
2009/10/8
2009年,日本,116分
- 監督
- 是枝裕和
- 原作
- 業田良家
- 脚本
- 是枝裕和
- 撮影
- リー・ピンビン
- 音楽
- 佐々木次彦
- 出演
- ぺ・ドゥナ
- ARATA
- 板尾創路
- 高橋昌也
- 余貴美子
- 岩松了
- 星野真理
- 柄本佑
- 寺島進
- オダギリジョー
- 富司純子
下町のぼろ家に住むさえない中年男(板尾創路)は空気を入れて膨らませるラブドールを恋人のように扱っていた。そのラブドールがある日心を持ってしまい、昼ま出歩くようになる。そしてレンタルビデオ店の店員(ARATA)に恋をしてしまう…
心を持った人形という普遍的なテーマを描いた業田良家の短編コミックを是枝裕和が映画化。構想9年という監督渾身の力作。

(c)業田良家/小学館/2009『空気人形』製作委員会 写真/瀧本幹也
人形が人になる。私なんかは映画で言うとまず80年代のコメディ映画『マネキン』を思い出すが、人それぞれいろいろな作品が思い浮かぶ普遍的なテーマである。私は業田良家のマンガは知らなかったのだが、是枝裕和監督が9年にもわたって映画かを切望してきたというのだから、これもやはり記憶に残る作品なのだろう。
今回、心を持つのはいわゆるダッチワイフ/ラブドールである。それはつまり、この空気人形のアイデンティティが「性欲処理のための代用品」であるということになる。この“代用品”という言葉がこの作品のキーワードである。誰もが抱える「別に私じゃなくてもいい」という気持ち、それが代用品という言葉に象徴される。板尾も余貴美子もみんなその気持ちにさいなまれている。
現代人の心の空虚と言ってしまうと陳腐になるが、現代人の誰もが抱える孤独がテーマになっていることは間違いがない。それを淡々としかしフェティッシュに描いて映画は進行してゆく。
物語は終盤、やるせなく、わかりにくく、そしてグロテスクになっていく。空気人形が心を持つということが持つ意味、空虚な空気で埋め尽くされた空間にふと生まれた心、それと中身が詰まっている人間の違い。
ARATAは空が空気で埋め尽くされているという。何もないようだけれどそうじゃないんだという。しかもそれは彼がぺ・ドゥナが空気人形だと気づく前のことだ。わざわざそういう彼の心には何かがある。そして終盤になって、彼は彼女に「空気を抜かせてくれ」と頼む。彼にとって“空気”にどんな意味があるのか? 部屋にあった元恋人の写真、その元恋人と空気がどのようにつながるのか?
その解答は示されないが、それがこの物語全体を解く鍵であることは明らかだ。彼が抱えていた空虚が“空気”という形で現れ、彼は自分の中も空気で満たされていると感じていた。空気人形の空気を抜くという行為は彼自身の抱える空虚をぬく行為の代替、しかしそれをしてしまえば彼自身は無と化してしまう。つまり…
そんな風にいろいろと考えることは出来るが、それがこの映画のメッセージというわけではない。この映画が最終的に投げかけるものは非常に曖昧で、結果的にこの映画は「わからない」映画になった。しかし、それでいいといえばいいのだろう。わかりやすい映画とも違うし、難しい映画とも違う映画、それが是枝監督が作りたかった映画なのではないか。そして後半にグロテスクさを出していったのもふわりとしたイメージを避けるためなのではないか、とこの作品を最後にしばらく休むという監督の考えを憶測してみたり、そんなことがしてみたくなる映画でもある。

(c)業田良家/小学館/2009『空気人形』製作委員会 写真/瀧本幹也
