ダウト~あるカトリック学校で~
2009/9/24
Doubt
2008年,アメリカ,105分
- 監督
- ジョン・パトリック・シャンリー
- 原作
- ジョン・パトリック・シャンリー
- 脚本
- ジョン・パトリック・シャンリー
- 撮影
- ロジャー・ディーキンス
- 音楽
- ハワード・ショア
- 出演
- メリル・ストリープ
- フィリップ・シーモア・ホフマン
- エイミー・アダムス
- ヴィオラ・デイヴィス
60年代アメリカ、保守的なカトリック学校の唯一の黒人の生徒であるドナルドは神父のフリンに信頼を寄せる。しかしある日、神父に呼ばれた直後のドナルドに違和感を感じたシスター・ジェームズは校長のシスター・アロイシアスに相談、校長はフリン神父に戦いを挑む…
トニー賞とピュリッツァー賞を受賞した戯曲をその作者であるジョン・パトリック・シャンリーが自ら映画化した。
舞台はキリスト教学校で、司祭を演じるのはフィリップ・シーモア・ホフマン。彼が説教壇に登場するのだが、どうも違和感がある。俗っぽ過ぎて司祭然としているように見えないのだ。「これはキャスティングミスか?」と思わせるが、実はそれがこの作品のミソであった。
その直後に登場する若いシスター役のエイミー・アダムス、厳格な校長役のメリル・ストリープの配役はまさにぴったり、メリル・ストリープ校長に睨まれたら、誰だってびくびくしてしまう。
さてそのフィリップ・シーモア・ホフマン演じるフリン神父だが、やさしい人柄の一方で非常に俗っぽく、他の神父たちと肉を食い、酒を飲む。そしてそれに対比される形でメリル・ストリープ演じるシスター・アロイシアスの質素で寡黙な食卓が映される。
そして、シスター・アロイシアスはエイミー・アダムス演じるシスター・ジェームズの報告をもとにフリン神父に生徒に対する性的な行為の疑いを向ける。その疑いは推測に推測を重ねたものに過ぎないのだけれど、シスター・アロイシアスは確信し、フリン神父を攻め続ける。
これはただそれだけの話だ。しかし、そのひとつの疑い(ダウト)の背後に無数の疑いが隠されている。それがこの作品を複雑なものにしている。シスター・アロイシアスの直感は私たち観客の抱く直感と重なるがゆえに、直感が生み出す疑いを無視できないものにする。
そして私たちは最終的にこのシスター・アロイシアスのあまりの厳格さに疑いの目を向けることになる。この過剰な厳格さにはどこかおかしいところがあると私たちの直感が告げるのだ。
しかし、その直感による疑いが行き着く先は明らかではない。もやもやとしたまま映画は終わる。ただ、この映画の結末のつけ方からしてひとつ明らかなのは、その疑いというものは否定されるものではないということだ。
この映画にはさまざまなキーワードが出てくる。迷い、不寛容、絆、そして疑い。それらのキーワードが意味するものは何なのか、それを考える仕事は観客の側に託される。あくまでもキリスト教的な考え方がベースになっているので、なかなか理解し難い部分もあるが、こういうもやもやとしたつくりの映画は嫌いじゃない。何よりも配役がピタリと来るところがいい。
