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最近、中高年が主役の映画というのが増えてきたような気がするけれど、中高年が主役であっても若者が主役の映画とそう内容が変わらないものが多かったり、逆に老人特有の問題がテーマになっていたりという作品ばかりが目に付く。しかし、中高年というのはただ若者が年を取っただけの存在ではなく、独特の複雑さを抱えたものであるはずだ。
この作品は、60歳くらいというまさにいま最も人数が多い年代の女性を主役にすえて、彼女が抱える複雑さを描こうとする。主婦として長い時間を送り、二人の子供を育て、夫が突然死んでしまい、死後になって浮気していたことを知る。しかも子供は自分勝手で自分を老人と決め付ける。信じて主婦として支えてきた夫に裏切られ、苦労した子供にお荷物として扱われる。それはいままで生きていたことの否定であり、同時に未来の否定である。彼女は人生を支えてきたものを一気に失ってしまうわけだ。
しかし、実はそうではない。彼女は表面上はそのようにおとなしい主婦として生きてきたが、果たしてそれが彼女にとっての“本当の自分”だったのだろうか。それがこの映画の核心である。
ずっと仲良くしてきた高校の同級生の4人組、その一人が持ってきた昔の8ミリを見ながら、彼女は何を思うのか。生前の夫の知人であるロマンスグレーに誘われるままにホテルで肌を合わせるとき彼女は何を思うのか。カプセルホテルで老女に身の上話を聞かされるとき彼女は何を思うのか。
夫の死によって解放され、しかし同時にさまざまな面倒ごとを引き受けざるを得なくなったとき、彼女自身混乱する。果たして自分は何なのか、いったい何をしたいのか。しかも孤独で。彼女は自分自身が戸惑うほどの複雑さを実は内面に抱えている。誰もがこれまで彼女にレッテルを貼り、主婦であり、いい人であると決め付けてきて、彼女自身もそれを受け入れてきたけれど、そのような外から押し付けられた人格はあくまでも彼女の一部でしかなく、彼女の内面にはもっともっとたくさんのものが詰まっている。
平穏に暮らしてきた数十年が突然終わったとき、それが彼女を突き動かす。彼女は「変わりたい」と声高に言うが、実は彼女はわかろうとしているわけではなく、周囲の目を変えさせようとしているに過ぎない。もっと違う自分を見て欲しいと周りに訴えているのだ。
この作品は、最初ものすごいクロースアップで始まる。しばらくはクロースアップが続き、クロースアップでなくなってもなかなか広い空間を捉えようとはしない。それは敏子の視野の狭さを感覚的に著しているのだろう。いえという小さな世界にしか目を向けていなかった彼女の視線、それを映像で表現し、そしてそれが少しずつ外に向けられ広い空間を捉えるようになることで、彼女の視野の広がりを示す。
この序盤に限らず、ちょっとした映像が利いているところが結構ある。たとえば、敏子に電話してきた同級生仲間の一人で未亡人の栄子が電話をかけている騒々しいファミレスがちらりと映ったりするシーンがある。夫に先立たれ孤独に生きる中年女の悲哀、栄子は敏子が陥るかもしれない未来のひとつを象徴してもいる。
林隆三演じるロマンスグレーも非常に利いている。彼はおとこのしょうもなさを表現することで、夫の浮気に別の見方を提供し、しかも敏子に彼女自身についての気付きを与えもする。キャラクターとしてはただのエロ爺なのだが、その行動はこの作品にとって大きな意味を持つのだ。
このようなさまざまな側面が効果的に組み合わさって、複雑なものを複雑なまま描くことに成功している。阪本順治の作品は結構当たりはずれがあったりするのだが、これは間違いなく当たりの作品だろう。作品の感じは違うのだがなぜか『顔』を思い出してしまうのはcobaと豊川悦司のためばかりではないと思う。おそらく物事を単純化しないという姿勢が似ていて、それがいいのだろう。
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