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映画というのはエンターテインメントであると同時にドキュメントでもある。最近の映画界は特に社会派ブームとでもいうべき状況で、ドキュメントとしての性質を前面に押し出した映画が数多く作られている。まあ、その風潮が悪いというわけではないが、私は映画はドキュメントである前にエンターテインメントであると思っているから、言いたいことだけ言って退屈な映画というのには辟易してしまう。
この作品もまたドキュメントである。原爆をテーマとし、それがその13年後に、そして62年後にどのような影を残しているのかを描く。もちろんそこで描かれるのは原爆の悲惨さであるが、同時に人々が原爆と被爆者をどのように扱ってきたかという歴史でもある。
原爆については、戦後に生まれた私たちは小学生のころからその悲惨さを教えられ、もう二度と核兵器が使われることがあってっはならないという思想を叩き込まれてきた。しかしそのような教育が行き渡る前に被爆者がたどった悲惨な運命についてはあまり知らされることがないし、いま原爆が現実にどのような影響を残しているのかということについてもあまり聞くことはない。
この作品はそのことを語る。みなが原爆のことを忘れたがった昭和33年に生きた被爆者の女性、彼女を見て思うのは感受性の強い人ほど精神的に重い痛手を負ってしまったという悲しい現実だ。自分の家族や友人の本当に多くが死に、しかもその死の悲惨さを目にしながらで生き残ったということが人の心にどのような影響を及ぼすかなどということは私たちには想像もつかない。その女性の日々を描くことで、見るものはその一端を垣間見ることができるのだ。
そしてそれは、そのような体験をしてしまった人たちが亡くなってしまえば風化してしまう記憶を記録としてとどめることでもある。想像できないほど悲惨なことがあったということは少なくとも覚えていなければならない。
ただ、この作品はどこか薄っぺらい。人間の心というのを安易に単純化しすぎているし、使われている映像というのもステレオタイプ化されたものである。しかも使われているCGの質の悪さも作り物じみた感じを強調し、作品から説得力をそぎ落としてしまっている。
しかし、それを補完するかのように「桜の国」の章が設けられる。現代の私たちには想像できない悲惨な体験を、同じ現代に生きるが、その体験者と血のつながった七波を通して学ばせるのだ。現在からの視点は私たちに馴染み深く、同時に原爆というのが風化した問題ではないことを示唆することで、より近いものとしてその体験を知ることができる。
過去にタイムスリップしたかのような七波の体験は彼女の(つまり私たちの)想像力が再現しうる原爆の記憶であり、そのように想像力を働かせることこそが記録として留められた風化してしまいそうな記憶を、単なる記録ではないものとして記憶するために私たちができる唯一の手段なのである。この作品は「夕凪の街」と「桜の国」という2章構成にすることによって、そのようにして私たちが想像力を働かせることを可能にしているのだ。
そしてまた、それはこの作品をエンターテインメントでもあるものとして形作っている。
原爆と、そして戦争を考えるには非常にいい作品だ。そして広島に行ってみたくもなる。
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