| 天才ピアノ少年の話なんていうと、なんだか堅っ苦しい話なのかと思うが、映画はいきなり飛行機に乗り込んで飛び立ってしまう少年のシーンで始まる。そして、このシーンに象徴されるように、この映画は楽しい。幼い頃のヴィトスは気難しく、親をいらいらさせるけれど、それは仕方のないことだ。天才であろうとなかろうと子どもはわがままなものだし、親をいらいらさせるものだ。
この親子の問題はむしろ母親にある。教育熱心というか、子どもの才能に期待をかける親にありがちな、自分の夢を子どもに押し付けるという行為をこの母親はついついしてしまっている。12歳で高校に通い、しかもその中でも優秀な少年の心情を母親は理解できない。それはヴィトスが12歳でありながら大人のような振る舞いをするために大人として扱ってしまうからだ。ヴィトスの子どもらしい甘えや遊びを認めず、自分が望む天才ピアニストになって欲しい、そのことを子どもに押し付ける。それでは子どもは息苦しくなり、天才であることを恨むようになるだろう。昔は普通の子どもであることが退屈で仕方がなかったかもしれないが、今となっては普通の子どもとしてすごしたいという欲求のほうが強くなる。その気持ちが唯一心を開ける存在出るお爺ちゃんへの一言にもれるのだ。
そして、転落事故による脳の障害でうまい具合に普通の子どもになったヴィトスは普通の子どもとしての生活を楽しむ。普通の友達と自転車を乗り回し、毎週のようにおじいちゃんのところで過ごすのだ。
ここからの展開は、「こんなことがあったら面白いなぁ」ということが次々起こる目くるめく展開だ。書いてしまうとこれから見る人が面白くなくなってしまうので書かないが、それはそれはわくわくする展開になっている。まあちょっとありえないんじゃないのということもおきるのだけれど、それも含めて面白い。
子どもが主人公でわくわくするような面白い映画というのはいろいろあるけれど、この作品の肝はこのピアノの演奏を主人公を演じているテオ・ゲオルギューがやっているということだ。フランツ・リスト・コンクールで優勝したというだけあって、その演奏は本当に大人顔負けというかプロ並というか、12歳の子どもが弾いているとはとても思えない。
普段クラシックはあまり聞かないが、映画なんかでこういう演奏を聴くと、クラシックもいいなといつも思う。モーツァルト、シューマン、リスト、その他のさまざまな作曲家の曲をひとりの少年が演奏する。そこでは作曲家の個性と演奏家の個性がぶつかり合い、ひとつの新しい音楽が生まれる。それは古典落語が演者によって味わいを変えるように一人一人違うものだ。
クラシックに興味のある人もない人も、この脅威の天才少年が天才少年を演じるのを見れば、とりあえず楽しくなれることは間違いない。
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