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ファラフェル

2007/10/28
Falafel
2006年,レバノン,83分

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          ★★★--  
     
 
 ベイルートの大学生トゥはバイトを終え、友人宅でのパーティーに向かう途中、ファラフェル屋で不思議な話を聞く。パーティへとやってきた彼はそこで繰り広げられるごたごたに戸惑いながら、想いを寄せるヤスミンに視線を送るが…
  内戦が終結して15年、平和に見えるベイルートで暮らす若者たちの一夜を描いた青春ドラマ。見ればとりあえずファラフェルが食べたくなる。
監督 ミシェル・カンムーン
脚本 ミシェル・カンムーン
撮影 ミュリエル・アブールース
音楽 タウフィーク・ファッルーフ

出演 エリー・ミトリー
     イーサム・ブーハーリド
     ミシェル・フラーニー
     ガブリエル・ボウ・ラシェド
     ヒヤーム・アブーシャディード

 

 

 

 

 

 トゥが突然目撃する誘拐事件。トゥはこれに驚くがそれに対して何もするわけではない。さらに、車に当てられたというちょっとしたトラブルで持ち出される銃、一見平和に見える大学生の日常に見え隠れする不穏な空気、トゥは殴られた相手に仕返しをするために銃を手に入れる。その銃のアル中の密売人はレバノンについて、中東のスイスなどといわれているが、その実、圧制と暴力の国であると言う。この密売人の言葉がまさしくこの夜のベイルートを表している。若者たちが遊ぶ姿は先進国とそれほど変わらない。しかし、その背後には暴力と暗さが常にある。
  そのような国に生きる若者たちを描くことで浮かび上がってくるのは平穏さと閉塞感だ。彼らの日常はごく当たり前の平和なものだ。主人公のトゥはアルバイトをして夜は友達と遊ぶ当たり前の大学生、パーティーでは惚れたはれたが話題の中心である。酒を飲んで時々はドラッグもやる。しかし無茶はせず、バイトも友人も恋も大切にする。
  しかし彼の希望はどこにあるのか。そんな平穏な日常を送っている彼だが、どこかあきらめの表情が常に浮かんでいるように見える。それは若者らしいツッパリと見ることもできるのかも知れないが、それにとどまらない好奇心や意欲の喪失がそこにあるように見える。そんな彼にファラフェル屋の主人が語るエピソードがじんわりと沁み込む。飢餓に苦しむ村に空からファラフェルが降ったという話、何百個に一個浮かないで沈むファラフェルがあるということ、それははっきりとではないが、希望は常にあるということをトゥに思い出させる。

 しかしもちろん、そう簡単に彼の閉塞感が和らぐわけではない。出口を求める彼の鬱憤は暴力を振るわれた怒りにそれを見つける。彼の鬱憤は怒りから暴力への衝動に変化し「因縁をつけた男」への復讐に向けられる。これは彼の閉塞感の根深さを示しているのだろう。ファラフェル屋の話から感じたほのかな希望だけでは決して拭い去ることのできない閉塞感、それは長きに渡る内戦がベイルートに残した傷が15年という時間では拭いきれていないこと無関係ではない。そのような社会で育った彼に希望を持てということはそう簡単なことではないのだ。
  それは彼にファラフェルが空から降ってくるという小さな奇跡が訪れてもほとんど変わらない。それでも彼は銃を持って「因縁をつけた男」のところに行こうとする。しかし、彼はそれに親友のオタク男アブーディを連れて行こうとし、家族と暮らす家により、結局その復讐は果たしえない。
  彼にはなぜアブーディが必要だったのか、あるいは彼は復讐をやめ、別の何かをしようとしていたのか。それは最後までわからないが、見終わったときに強く感じるのはその疑問よりも何もなくてよかったという安心感だ。すっきりとはしないが、これが現実であり、このような結末でよかったと思わせる。
  何かが起こりそうで何も起こらない。しかし、何も起こらないことのほうが貴重なこともある。学生が簡単に銃を買えてしまう社会、そんな社会が平和であるというのは奇跡のようなものだ。ファラフェルはっ平和と平穏と安心の象徴である。それが当たり前にあることの貴重さをもっと噛みしめろとこの映画は言っているような気がする。15年という歳月は平和をもたらした変わりに忘却ももたらす。ファラフェルが貴重であったころを忘れず、平和であることに感謝しなければならないのだ。それはかつて戦争を経験したことのあるあらゆる国(つまり世界のあらゆる国)に当てはまることである。