| これは最高にくだらない映画だ。この映画の目的は「ドリュー・バリモアとデートする」というそれだけに尽きる。そのために金もコネもないハリウッドに住んでいるだけで、仕事もない27歳の男がさまざまに奔走する。撮影のためのビデオは30日間の返却期間ぎりぎりまで返すことを前提に買い、タダになるものはなんでもタダでやる。「最大の夢の実現」とか「冒険の旅」とか言っているけれど、結局はただデートをするだけのこと、それをとにかく大げさに扱っただけのことだ。
しかし、この最高にくだらない映画がなぜか面白い。「こんなくだらない」と誰もが思うのだけれど、こんなくだらないことにこれだけの情熱を注げるエネルギーと、本当に「ドリューとデートする」という目標に向かって純粋に努力するその姿は清々しい。
映画の手法としては自分が試みていることを記録していくというマイケル・ムーア的なものだけれど、論争的だったり、社会的だったりすることはまったくなく、ただただ個人的なことを記録しているだけで、その相手がセレブだということで世間の注目を集めただけなのだ。
感想を書こうとすると、どうもこの作品に意味がないしつまらないということになってしまうのだが、これはなんだか面白い。それはこの作品が体現しているのは私達の日常の小さなチャレンジであり、そのチャレンジを実現するために必要な人と人とのつながりであるからだろう。彼らはドリューとデートすることを強く願っているが、そのことでごり押しをしたり、脅迫じみたことをしたり、またストーカーじみたことをすることもない。(1度だけ犯罪といえるようなことをしているが、まあそれには目をつぶろう。)
彼らは人と人とがつながっていくそのつながりを通して夢を実現しようとしているのだ。そこに何か面白みと温かみがあるのだろうと思う。そして端と端にいるブライアンとドリューが最終的につながったなら、それはその間にいる無数の人と人とがつながったことを意味するということなのだ。本当にくだらないことなのだけれど、ここまでくだらないことだからすべての人が構えることなくつながることができ、人とつながることでそれぞれが何かを得ることができた。ブライアンはドリューとあうという夢をかなえるために人から何かを引き出すのではなく、自分の夢を人々の分け与えることによって最終的にドリューにたどり着くのだ。間に入る無数の人すべてに分け与えるだけの強い夢が彼にあれば、彼はドリューにたどり着くことができるだろう。
この作品に意味とか結論とかを求めるのはまったく無意味だ。作品としては「夢をあきらめるな」とか、ドリュー・バリモアの言葉として何度か登場する「リスクを犯さないのは魂の浪費だ」ということを結論あるいはメッセージとして発信しているようにも見えるのだが、はっきり言ってこの映画を撮ることのどこにリスクがあるのか。リスクといえば1100ドルと1ヶ月を無駄にするという程度のことで、彼の人生がどうこうするほどのものではない。その程度をリスクというのは映画を作る以上そこに何か言いたいことがなければならないという思い込みの産物だとしか私には思えない。
この作品はそんなことはおいておいてただ楽しめばいい作品だと思う。これはあくまで企画の勝利で、同じような手法では二度と成功することはないと思うが、子供の心を持ったブライアンなら、また別の企画を実現するのではないかと思う。とかく社会派に走りがちなドキュメンタリーだからたまにはこんな作品もあっていい。
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