| 妻を亡くし、定年退職し、娘からは相手にされないおじさんがまだ20年はあろうかという残りの人生何しようか、という話。定年退職しても家でごろごろして妻に煙たがられ、熟年離婚して生活苦などという哀しい話よりはいいが、あまりに話ができすぎているという感は否めない。
奥さんと本当に仲がよくて、いなくなってしまった喪失感から立ち直れないというのは美しい話でいいし、一念発起サーフィンをしに種子島までいくというのも人によってはありえることだろう。種子島についてとんとん拍子でサーフィンを教えてくれる人もちょっとした働き口も見つかるというのも、島の人ってのはだいたい人情味があるからありえないことではないとしよう。話としてはこれで軌道に乗って中盤までくるので、中盤まではまあなかなか面白い映画じゃないのという感じで見ることができる。
しかし、恋人に振られ、就職に悩む娘が父を訪ねて種子島へ、となったあたりからどうもできすぎ感が強くなっていく。まあ、ネタばれをしてもあまり映画の面白さに変わりはないと思うし、あまり見る人もいないと思うので書いてしまうと、この父と娘の関係ってのがどうもね。
まず、父と娘の関係はどうもギクシャクしているらしいのだけれど、そんならなぜ種子島まで来る?と疑問に思うし、しばらく一緒にいたあとで、そのぎくしゃくの原因(もちろん母親の死にまつわることだが)について話をしてすっかり仲直り、ビーチでロケットの打ち上げ台を見ながら手をつないでしまったりするのだ。あー、なんだか気持ち悪い。
それにこのふたり以外の登場人物もあまりにいい人過ぎる。私は“島”が好きだから、島にはいい人が多く、種子島も(行ったことはないけれど)おそらくいい人ばかりだとは思うのだが、ここまでいい人ばかりだとただの馬鹿なんじゃないかと思えてきてしまう。それは一雄との関係だけではなく、島の人同士の関係でもそうなのだ。みんなもう少しエゴとか、よくとかあってもいいんじゃないの?浅香光代までがいい人の役なのは正直驚いた。
まあ、そんなあまりにできすぎた話ではあるが、物語としてはそんなに悪くはなく、平均点くらいのレベルではあると思う。
しかし、映画としてはさらにひどいといわざるを得ない欠陥がある。まずひとつはみんな標準語を話すということだ。せっかく種子島という舞台を作り、そこでロケまでして場所と密接にかかわる映画を作ったのに、土地の言葉はまったく生かしていないのだ。さらに言えば食べ物に関してもその土地を生かした演出はまったくなされていない。酒だけは焼酎がちょっと出てきたような気がするが、それが種子島のものだったかどうかはわからない。
映画の“場所”を単なるロケ地としか考えていないこの姿勢がこの映画をさらに面白くないものにしてしまっているし、土地に対する尊敬がないから、クライマックスのシーンで大波を合成してしまうのだ。この「ポセイドン」といわれる大波のシーンは本当にひどい。年に一度の大波がやってきたといって海へ向かうのだけれど、その波が明らかに合成なのだ。その合成の海に入ろうかという感じで大杉漣たちはかがむのだけれど、まったく海に入ろうとしている人には見えないのだ。それはではちゃんと種子島の海と波を使っていたのに、ここで合成を使ってしまうというのは土地への尊敬がない証拠だろう。
ビーチぼーいずなんかを使ってサーフィン映画っぽさを演出しているけれど、こんなものはサーフィン映画でもなんでもない。ただのおっさんの御伽噺だ。
|