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ベストセラー

TOKKO -特攻-

★★★--

2007/8/24
Wings of Defeat
2007年,アメリカ=日本,89分

監督
リサ・モリモト
構成
リンダ・ホーグランド
撮影
フランシスコ・アリワラス
音楽
松岡碧郎
出演
江名武彦
浜園重義
中島一雄
上島武雄
荒木和次
ジョン・ダワー
preview
 NYに住む日系2世のリサ・モリモトは亡くなった伯父が特攻隊の訓練を受けていたことを知り特攻隊に興味を持つ。日本での親族との会話や、元特攻隊員たちのインタビューを通して狂信者という特攻隊のイメージは少しずつ変わってゆく。
  日系アメリカ人の監督がアメリカに流布する特攻隊のイメージに抗して作り上げたドキュメンタリー。アメリカ人であり、同時に日本人でもある日系人ならではの視点がある。
review

 今年(2007年)の夏は日系アメリカ人監督の2本のドキュメンタリー映画が話題となった。1本はスティーヴン・オカザキ監督の『ヒロシマナガサキ』、もう1本がこの『TOKKO -特攻-』である。『ヒロシマナガサキ』は未見だが、それを特集した番組などを見る限り、この2つの作品はどちらもアメリカに向けて、太平洋戦争の真実の姿を見せようという意図で作られたもののように思える。少なくともこの作品について言えば、モリモト監督自身も抱いていた特攻隊に対する“狂信者”というイメージを元特攻隊員の肉声によって変えさせることが明確な意図として浮かび上がってくる。
  そのために、この作品は基本的にアメリカ人としての視点で作られている。アメリカ人である監督が日系人という立場からアメリカの人々に日本の姿を見せる。そのような視点に立っているのだ。だから、この作品に描かれていることは、意識的な日本人ならば知っているようなことばかりだ。確かに、実際に特攻隊員だった人々の証言は記録として貴重だし、具体的でただ文章を読んだりするのとは違う説得力を持ってはいるが、そこで語られていることは今までにどこかでだれかが語ってきたことの反復である。もちろん10代くらいの若い世代では知らない人も多いだろうし、かたっくるしい文章を読むよりはこういう映像を見たほうがすっとしみこむだろうから、教育的なテキストとしては日本人にとっても意味があると思う。
  しかし、これが新たな議論を起こしたり、考察を深めるということはあまりない。せっかく日本学者として名高いジョン・ダワーにまで登場を願っているのだから、もう少し踏み込んだ議論があってもよかったのではないかと思う。

 私が思うのは、命をかけてまで守るべき大事なものがあれば、特攻をするという気持ちは理解できるし、それは日本人だけのものではないはずだということだ(実際、特攻攻撃を受けた元米兵のひとりはアメリカもドイツや日本に攻め込まれたらやっていたかもしれないと語っていた)。問題は、その守るべきものが本当にあったのかということと、守るべきものはあったとしても特攻というのがそのために効果的な方法であったのかということだ。
  もちろん、本当は誰だって死にたくないし、戦争なんて二度と起こしてはいけない。この作品の結論はそういう安易なところにあるが、考えるべきなのはそのような当然なことがどうして覆されてしまったのかということだ。死にたくないはずの若者たちがなぜ死にに行ったのかということだ。彼らが無念の思いを抱えたまま死なねばならなかったのはなぜなのか、そのことを突き詰めなければ、この特攻を現代の教訓にすることはできない。この作品はその部分が掘り下げられていないがために、今ひとつ訴えかけてくるものがないのだ。
  そのことからもこの作品があくまでもアメリカ社会に向けて作られたものだということがわかる。この作品が9.11を意識して作られたことは明らかだ。この作品で使われる特攻の映像、それは9.11の映像と見事な類似を見せる。2機目が突入してきて沈む軍艦、それが突っ込んでくるときの恐怖、そして飛行機が巨大な建造物に突入するという映像、それらは何も言わなくても9.11を想起させるのだ。
  9.11は起こってすぐに真珠湾と比較されたように、9.11を中心とするイスラム原理主義との戦争は日本との太平洋戦争と比較されることが多い。そのような世情の中で日系人が自らのルーツに対して疑問や興味を持つのは自然なことだろう。自分たちもムスリムのテロリストたちと同じなのではないかという恐れを抱き、そうではないと知って安心する。この映画はその過程が作品として提示されているのだと思う。

 この作品の最後は空を飛ぶ猛禽類の映像である。画面が切り替わって青い空にその影がちらりと見えたとき、ふっと胸を恐怖がよぎる。繰り返し特攻映像を見せられてきたために、それもまたKAMIKAZEの機影ではないかと思ってしまうのだ。
  このシーンは見事にこの作品を象徴している。結局この映画が描いているのは、襲われることに対する恐怖なのだ。制作者は特攻してきた人たちが自分たちと変わらぬ生身の人間であり、死を恐れぬ盲信者ではないことを知って安心したかったのだ。それによって恐怖をやわらげ、9.11のトラウマを軽減したかったのだ。本当はもう一歩踏み込んで、そのような誰にとっても悲劇であるような出来事がどうしたら防げるかを考えるべきなのだが、そこまでをこの作品に求めるのは酷だ。それはわれわれに積み残された課題としてわれわれ自身が考えるべきことだろう。
  しかし、この作品はそのような考察を積極的に促しているとも思えない。これは過去を振り返り、現在を再考する第一歩にはなるが、あくまでも第一歩にとどまる。できれば2歩目を踏み出すための道標を示してくれればよかったのだが。

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: アメリカ2001年以降

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