| 私は特にブライアン・デ・パルマの作品に思い入れもなく、デ・パルマ・タッチと言われても今ひとつピンとこないのだが、この作品のダークな雰囲気はなかなかいいし、映像にも独特なものがある。 この物語はある意味対照的な2人がボクシングを通じて仲良くなり、協力しながらも同じ女性に対して複雑な感情も抱き、その背後に語られない謎があるという話しなわけだが、その隠し方がこの暗さを生み出しているのかもしれない。特に主人公のひとりのリーにはさまざまな裏事情がありそうで、それが映画の確信のひとつにもなっているのだ。
そしてこの作品はそれを映像で見事に表現もしている。それが一番顕著に出ていたのは、リーとバッキーの2人が銃撃戦に巻き込まれた後、ほかの警察官もやって来て、現場検証を行っているシーンである。リーは入り口に立ってタバコをふかし、バッキーは階段を上って2階に上がったところで、カメラは二人を同時にとらえる。距離は離れているが両方にピントが合い、奥のバッキーはもの言いたげな表情をし、画面の左側にアップで映されたリーの表情にはなんともいえない“苦さ”がある。バッキーには見ることのできないこの表情を観客にははっきりと見せ、その裏に何かあることを悟らせる。こんなやり口でデ・パルマは観客を引っ張っていくのだ。
そして、カメラマンのヴィルモス・ジグモンドもビッグネームである。『未知との遭遇』、『ディア・ハンター』などのカメラマンであり、この作品でもアカデミー撮影賞にノミネートされた。その映像にはさすがに切れがあり、冬のような澄んで冷たい空気が感じられる。
それを言えば、ほかのスタッフもビッグネームである。原作のジェイムズ・エルロイは言うに及ばず、音楽は『クラッシュ』などのマーク・アイシャムである。それと比べると役者のほうは小粒という気もしないでもないが、この作品に必要なのはキャラクターと時代の雰囲気であって、俳優の個性ではないのでこれでいいのだろう。主人公の2人はもちろんのこと、スカーレット・ヨハンソンもヒラリー・スワンクもすっかり個性を殺している。その意味ではヒラリー・スワンクがこの作品では白眉ではないかと思う。物語上もそれほど重要ではないが、謎の一部に加担し、バッキーとケイの関係に一石を投じる。その地味な存在感が作品世界にあっている。
ただ、この作品は物語に少々何があるかもしれない。隠された謎が多すぎ、しかもヒントが少なすぎるため、観客はその謎解きに参加できないのだ。異様なほどに切れまくるリーを見て、その裏に何か事情があることはわかるのだが、それが何なのかをまったく推測できない。最後まで見れば、一応事件の全貌は明らかになるのだが、何か今ひとつすっきりしない。どうもジェイムズ・エルロイの重厚で複雑な物語は2時間という映画には向かないのではないかと思う。この作品も原作は文庫で577ページの大部、文字でじっくり読めば、その世界に浸れるのだろうが、これを2時間に縮減すると、暗さばかりが印象に残ってしまうことになるのだ。
決して悪い映画ではないが、見ていてあまり楽しくないし、見終わって爽快感もない。胃に何かしこりのようなものが残り、それはそれで力があることを証明しているのだが、それは物語よりは映像の持つ力によるものだ。言葉にならないもやもやとしたわだかまりが内臓に残る。そんな重苦しい映画だ。こういうのも嫌いではないが。
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