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物語は母親の遺産を相続するために仲の悪い三兄弟がいやいや巡礼のたびにでるというモノだ。長男のピエールはアル中でずっと失業中、巡礼の出発地までの旅費を別れた妻と暮らす娘に借りようとする。長女のクララは高校の国語の先生で無宗教を標榜し、カトリックをバカにしている。次男のクロードは出世が一番の仕事中毒で一日たりとも秘書との連絡を絶やすことは出来ないといい、アル中の妻も抱えている。こんな3人がガイドと他の参加者と9人で2ヶ月の巡礼の旅にでる。となると、最初は仲たがいしていた兄弟が少しずつ仲直りして行くという展開になりそうだが。
この映画の秀逸な点は、物語の展開をその兄弟に集中しないことだ。最初こそクララとクロードの喧嘩が何度か繰り広げられるが、旅が進むと中心になるのは他の参加者との関係に変化して行く。ひとりは癌でスキンヘッドの女性マティルダ、他の4人は高校生だが、その中の一人ラムジィは学習障害で文字が読めず、イスラム教徒なのでメッカに巡礼すると思っている。このラムジィに文字を教えることでとげとげしかったクララの心がほぐれてゆき、それがこのグループ全体の雰囲気を変えて行くのである。
このような親密な旅はうまく行けば兄弟でなくて他人でも、参加した人たちの結束は高まり、仲間意識を強く持つようになる。ある教会でイスラム教徒のサイードとラムジィは泊まれないと言われたときにクロードが「僕らは兄妹みたいなものだ」と発言したことにそれが端的に表れている。
そして、そのような兄弟のような結束を固めたグループの中で本当の兄弟である3人もその関係を変化させて行く。それは、仲直りするというわけではなく、本来自分の中にあった感情を再確認し、それを表面化させたという形である。だから、あからさまな兄弟の和解というシーンはない。しかし、一言一言から彼らが兄弟として互いを大切に思ってきたし、表面的に反発しあっていただけだということがわかる。兄弟とはいえそれぞれは個人であり、それぞれの人生があり、感情がある。その中でもやはり互いのことをどこかで想っている、そんな穏やかな愛情が垣間見える。
そして、この映画のもうひとりの主人公であるラムジィの物語にも大きな展開がある。ここには若者らしい家族と友情があり、また別の感情が描かれている。
いわゆる感動作ではないが、じんわりと感動があり、市井の人々の日常のおかしさがある。何度か異様とも言える夢のシーンが織り込まれ、それがどうも他のシーンから浮いているし、それ自体も気持ちが悪くあまりいいシーンとはいえないのだが、それを割り引いても十分楽しめる。
フランス映画にありがちな堅苦しさがなく、非常に日本人に受ける映画ではなかろうか。定年を控えた団塊の世代の人なら、サンチャゴ・で・コンポステーラへの巡礼のたびにでたいとも想うかもしれない。旅すること、そして歩くことは人の中に何らかのポジティブな影響を及ぼす。そんなことを何とはなしに感じる映画だ。
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