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この作品は『カンバセーションズ』という題名どおり会話で成り立っている映画である。分割された画面は会話の際の表情を観客に見せるためほとんどがクロースアップで構成され、その会話の裏にある心理を表現するために昔の思い出が再生されたり、現実とは異なる展開が想像されたりという効果のためにも用いられる。
その意図はよくわかるし、そのような意味ではうまい具合に編集していると思う。あまりに説明がなく、短すぎるシーンも多いし、字幕で見ると字幕を見ながら2つの画面を見るというのがなかなか大変ということもあって、理解できない部分も出てくるが、基本的にはよく練られたつくりになっていると思う。
しかし、結論から行ってしまえば「だからなんなの?」という結論に尽きる。もと夫婦のふたりが再会し、セックスをし、会話をする。確かにそこには様々な駆け引きが存在し、それぞれの思惑があるのだろうけれど、それがなんなんだ? 展開に面白みがあるわけでもないし、どんでん返しがあるわけでもないし、ロマンがあるわけでも、笑いがあるわけでも、驚きがあるわけでもない。そして思わせぶりではあるが、哲学があるわけでもない。
簡単に要約すれば、女はセックスがしたいだけであり、男は女を困らせたいだけだ。男のほうは本当によりを戻したいのか、それともそういうモーションで女を困らせたいだけなのかという微妙なところはあるけれど、結局お互いにこれが遊びに過ぎないことを知っている。一晩の逢瀬、何かを裏切ること、秘密を持つことの快楽、彼らが求めているのはただそれだけだ。
だから見ていても退屈だし、最後まで見てもだから何?と思うしかない。
フランスでこの映画がヒットしたというのはさもありなんという感じだ。この映画の興行収入は約90万ドルで、そのうち約50万ドルがフランスのものだという。フランス映画を観ていると、友人たちが集まったときに、突然哲学的な会話が始まるようなことがよくあるし、恋人たちもよくわからないことをとうとうと話し合うようなことがよくある。
そんなことを考えると、フランス人は会話から何かを読み取るというのが好きな国民なのかもしれないと思う。だから、この作品がフランス人に(だけ)受け入れられたのだろう。
日本では、東京国際映画祭の審査員特別賞に選ばれはしたが、ヒットしたという話はまったく聞かないし、おそらくヒットしなかっただろう。日本人でも、例えばフランス映画が好きな人のように会話を楽しむという人も少なからずいると思うが、そういう人の傾向はもっと哲学的な会話を好むのではないかと(勝手に)思う。例えばエリック・ロメールの作品で必ずと行っていいほど挟まれる哲学的な会話、それを面白いと思うのはわかる。しかし、この作品の会話は単なる戯言でしかない。
これを見たフランス人は一体何を読み取ったのか、ちょっと聞いて見たくもある。
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