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メアリ・ピックフォードとダグラス・フェアバンクス、彼らがサイレント期のアメリカ映画の大スターであったことは誰も否定しない。ともに1900年代にデビューし、20年代の後半までの約20年間スターとしてアメリカ映画界を引っ張った。しかし、年齢に伴う容色の衰えはスタートしての人気に少なからぬ影響を与え、さらにトーキーの時代を迎えたことでふたりの人気は一気に衰える。
この作品はそんなふたりがスタートしての意地をかけた最後の手だったのだろう。それまでは決して共演することなかったアメリカ映画史上最初のスター夫婦がここで共演したのである。そこまでにサイレントからトーキーへの以降は早く、それに伴う映画界の人材の交代も早かったのだ。この作品はそんな映画史における激動の時代の一面を象徴する作品なのだ。
そして、作品を観てもそれがよくわかる。メアリ・ピックフォードもダグラス・フェアバンクスも悪くはない。しかし、それこそ1920年代前後の彼らの黄金期と比べればスタートしての輝きは減じ、サイレント時代には豊かなものに見えた演技がセリフが伴うことで大げさなものに見えてしまう。
監督はハロルド・ロイド作品などを監督したサム・テイラーで、ギャグの部分はサイレントで培った面白さが発揮されてそれなりに見られるが、ドラマの部分は舞台演劇を間近で見させられているような居心地の悪さがある。
それでもスターふたりは頑張っている。メアリ・ピックフォードの表情やダグラス・フェアバンクスのアクションには何かを語りかけるものがあるし、この時すでに30代半ばだったメアリ・ピックフォードはまだまだ可憐だ。さすがに40代半ばとなっていたダグラス・フェアバンクスに若々しさはないが、若さはなくともフェアバンクスはフェアバンクスなのだと納得させる存在感はある。
生まれてわずか30年余りで世の中からほとんど姿を消してしまったサイレント映画だが、それはひとつの芸術として、そして産業として完成の域に達していた。その完成された芸術/産業の立役者であったふたりはそれが完成されたものであったがゆえに、それを乗り越えることができなかった。変化に対応できなかったと言えばそれまでだが、おそらく彼らにはトーキー映画にサイレント映画以上の魅力を見出すことができなかったのではないかと思う。自らの力を十分に発揮できるサイレント映画こそが彼らにとっての映画であり、トーキー映画は同じ“映画”という名称がついていても、彼らにとっては出演すべきものではなかったのではないか。
やはりこのふたりの作品はサイレントに尽きる。できることならば、全盛期に1本でもふたりの共演作があればよかったのにとこの作品を見ながら思う。
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