| 私はこのセドリック・クラピッシュの作品とは波長が合うらしい。最初に見たのは確か『猫が行方不明』だったと思うが、その猫の名前“グリグリ”が引っかかって妙に印象に残る映画だった。そして、他の作品もほぼもれなく楽しむことができ、特に『百貨店大百科』はお気に入りの作品のひとつとなった。そんな流れの中で見た『スパニッシュ・アパートメント』も面白く、そして、その続編であるこの『ロシアン・ドールズ』ももちろん面白かった。
これらの作品の面白さの根底にあるのは、ゴチャゴチャした感じである。“カオス”というといいすぎだけれど、なんとなく全体が整理されていない印象であり、それが非常に居心地がいいのだろうと思う。だからこそ本当にたくさんの人が登場する『百貨店大百科』が面白かったのであり、まさにゴチャゴチャとしたアパートを舞台に展開される『スパニッシュ・アパートメント』もしっくりと来たのである。
そしてこの『ロシアン・ドールズ』もやはりゴチャゴチャした作品なのである。表面上は前作よりすっきりとしているように見えるが、それは今回ゴチャゴチャしているのが人やアパートではなく、グザヴィエの頭の中であるからだ。彼はまったく混乱している。その混乱を混乱したままに映像化してしまうために、映像もまた混乱する。一応時系列に沿って展開されるので、物語の筋としては理解できるのだけれど、結局何なのかはいっこうにわからない。結局この男は何がしたいのか、そしてこの映画は何について語っているのか。
だから、この映画を一つの視点から、あるいは一つの価値観から見ようとするとわけがわからなく、つまらないものに感じられてしまう。グザヴィエは主人公ではあるが、ここでは感情移入の対象ではなく、“カオス”たる人間の心をいわば代表する存在として登場しているのである。そして彼の周りの人々も同じようにゴチャゴチャとした塊を頭の中に抱えているのである。ただ、彼らの“カオス”はあまり表面化せず、グザヴィエのものはとにかくどんどんでてくるというわけだ。
この映画の面白さというのは、「これこれこういう映画だから面白い」というものではない、作品の中のちょっとしたワンカットやひとつのセリフがストンと心の中において、それによって観客と作品が共鳴する。そこに面白さがあるのだ。ひとつ、私の心にそっと触れたものをあげると、それはウェンディの「ロンドンで一番の景色よ」というセリフだ。それを聞いて私は「東京で一番の景色」と言われたらどこをあげるだろうかと考える。それは物語の筋とはまったく関係のない発言なのだけれど、人間の頭とはそういうものなのだ。関係ない言葉や仕草がふっと出て、しかしそれはどこかでつながっている。人間の行動というのは複雑な内面がそのように表面化して出来上がっているのだ。
そしてセドリック・クラピッシュはこの作品でその表面化した部分を見せることによって複雑な内面を想像させる。だから、この作品は前作よりすっきりとしたが意見をしているのだ。しかし、内面の複雑さはわかっておらず、表現の仕方としてより洗練したともいうことができるだろう。
ただ、この“洗練”というのが曲者でもある。この“洗練”された作品においてグザヴィエは自分勝手な男にしか見えないが、それは彼が“洗練”されたパリジャンであるということとも思えるのだ。彼が自分勝手なことは間違いないが、それはまさしく彼がパリジャンであるということなのではないか。“洗練”されたパリの人々は確固たる自己を持ち、それを譲ることはしない。それが“洗練”された大人の態度だと考えるなら、なかなか理解しがたい…
自分勝手な主人公にどうにも共感できないというのが一般的な見方の一つだとも思うが、そのように主人公に共感できないというところにこそこの映画の面白さがあるのだと思う。
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