| 今は大スターのジェニファー・アニストンとキャメロン・ディアスも当時はぺーぺー、ということでそんな2人を脇において、男2人の兄弟の物語が展開される。題名や出演者からラブコメだろうという勝手な当たりをつけて見たが、実際はコメディではなく意外に真面目なドラマであり、しかも予想外におもしろかった。
この映画の核になるのは、登場人物たちの微妙な心理の機微だ。ミッキーがホープとヘザーに抱く感情、フランシスがレネとヘザーに抱く感情、ホープがミッキーに抱く感情、それらが言葉になる直前でとどまり、映画を作り上げて行く。
そんな中で、この登場人物たちにはミッキーとフランシスを典型とした異なるタイプの人間がいる。ひとつはフランシスのような徹底的に利己的なタイプ。ミッキーとフランシスの父親はミッキーに「まず自分の幸せを考えろ」というが、フランシスは真っ先にこれを実行し、それ以外は考えないタイプだ。レネの妹も完全にこのタイプに入る。
それに対してミッキーは自分の利益以外の価値観を重視するタイプである。それはある種の信義則であったり(例えば兄弟の紳士協定とか)、他人の感情であったりする。このタイプの典型はホープの働くカフェのコニーであり。ミッキーとホープはこのタイプに近いところにいるが、完全にこのタイプというわけではないので、そこで衝突が起きる。ホープは自分でも認識しているように嫉妬に駆られるし、ミッキーはホープの生活環境に適応できない。
この2人の間に交わされる感情はなかなか察するに難しいものがある。しかし、ここで描かれているのは2人の人間が理解しあうその過程である。相手を好きであるがゆえに、相手に嫌われたくない。でも、自分のことを理解して欲しい。そのせめぎあいの中で、どのように自分を相手に対して表現して行くのか、それが描かれているのだと思う。その過程では相手が傷つくこともあれば自分が傷つくこともある。その中で完全には相手を理解できなくとも、共有できる何かを見つけることができれば、少しずつ2人の関係は安定して行くのだろう。
その他の関係で言えば、レネとフランシスの間ではそのような交流は存在しない。レネはそれをのぞんでいるが、フランシスにはそのような考えはまったくないのだ。フランシスにとって相手とは自分の欲求を満たしてくれる存在かどうかということだけが重要であり、それ以外のことには意味がないのだ。
ヘザーはそのような関係を求めているが、自分が傷つくことを徹底的に怖れている。自分が傷つかないようにするために相手を傷つけて、関係は壊れる。彼女がうまく行くのは、相手が彼女をお姫様のように大事にするか、彼女自身が傷つかないようにうまく壁を作ったときだけである。
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