| クストリッツァといえばキッチュでオリジナリティのある作品を撮る映画作家だ。その彼が社会派なイメージを強くしたのはやはり母国ユーゴスラビアが内戦渦にさらされ、それを無視できなくなってからだ。ユーゴ内戦が本格化したのは1991年頃からといわれるが、この作品の舞台となっている1992年はボスニア・ヘルツェゴビナが独立を宣言した年であり、その結果ボスニア・ヘルツェゴビナ内のムスリム、セルビア人、クロアチア人の対立が激化、旧ユーゴ内でももっとも悲惨といわれる内戦が95年まで繰り広げられた。
その記憶はクストリッツァに社会派映画を作らせる。しかし彼はリアリズムの監督ではないので、それをファンタジーというか独特のどこか非日常的な感覚で包む。この作品も基本的には戦時下で敵対しているはずのセルビア人とムスリムの恋というリアルな題材が主プロットとなってはいるものの、どこか現実味が薄い。
それは彼の作品が常にその主プロット以外の部分が面白いからだ。この作品もストーリーとは関係ないちょっとしたギャグ(たとえばサッカーのコーチが得点に喜んで思わず立ち上がり、ベンチの天井に頭をぶつける)が面白いのであり、脇役のキャラクターに味があるのである。
そして、この作品で特にその面白さを発揮したのは動物たちだ。ルカの飼う犬と猫、そしていつも線路の上にいるロバ、この3匹の動物たちでこの作品の面白さのかなりの部分を担う。人懐っこい動物たちの見せるかわいい表情やら、おかしな動き、人が食べているパンを横からばくばく食う猫やらなにやら。
そしてまた、これらの動物はただ面白だけではない。この物語の主題が「民族ではなく人柄」だということを動物たちは補強しているし、この作品の題名である「人生は(あるいは生命は)奇跡だ」ということを証明するのも動物なのである。
人々は民族という人間が作り上げたものによって対立し、殺し合いをする。しかし、その区別に果たして意味があるのか。動物たちにとってはそんな民族など意味はない。彼らが人に求めるのはまさに「民族ではなく人柄」なのだ。ルカの猫がサバーハになつくのも、ロバがなぜか果てしなくルカのあとについてくるのも、彼らの人柄によるものだ。
とくに「失恋して絶望したロバ」はたぶんルカとサバーハの恋に共感して彼らのためになることで絶望から救われたのだろう。だからロバは果てしなくルカの後をついて歩き、最後には奇跡を起こす。それはルカとサバーハの恋が起こした奇跡ということもできるし、ロバが起こした奇跡ということもできる。
とにかく、人生にはミラクルが満ちている。そして、生きているということもまた奇跡的なことなのである。そんな人生と生命を奪い合うなんてどんなばかげたことなのか、クストリッツァの映画はそんなことをいいながら私たちを明るい気分にしてくれる。
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