| この映画を見終わって「うーん」と考えてしまった。なぜこれは映画なのか。漫画が原作の映画は数多くあるが、漫画が原作のドラマも数多くある。この作品はなぜドラマではなく映画になったのか。これが映画になる必然性はあったのか。そんなことを考える。なぜならば、この映画は1本の映画として完結していないからだ。最後まで見ても結局、長い物語の始まりでしかないことは明らかなのだ。それなら連続ドラマにしてもよかったのではないか。そんな風に思う。
たしかに、2時間のドラマとしてはうまくまとまっている。回想シーンと現実の時間を平行させながら語って行くことで、見る側は時間を行き来し、徐々に物語の全体像をつかんで行くことができる。そして、最後にはそのラストシーンまでのドラマが全て理解できるというわけだ。その点では評価できると思うし、2時間という時間は適当だとも言える。でもやはり、「さあ始まりだ」という感じなのだ。続編が作られていることはもう決まっているので、それでもいいのだろうが、こういう連続映画ってのはどうなのだろうと思う。
まあ、それにはビジネスとしての映画とテレビの比較とか、テレビではアニメが放映されているとかいろいろな利益が絡んでくるのだろうから、あまり言っても仕方ないことのような気もするのでもうやめるが、もはや映画とテレビの垣根はほとんどゼロになってしまったという感慨はある。
さて、映画の内容のほうはといえば、主人公のナナにまつわる物語は非常におもしろい。非常に自由で強くてまっすぐな少女ナナの物語は非常にまっすぐで気持ちがいい。20歳なりに精一杯強がって、精一杯さまざまなことに対処しようとし、精一杯生きている。しかしやはりその表面を覆う殻の内側には弱さがあり、しかもその殻は限りなく薄く、内側は限りなく広い。そんな脆さを感じさせるナナは非常に魅力的だ。そして、中島美嘉はそれを見事に演じていると思う。
それと対照的に“ハチ”こと小松奈々の印象は薄い。典型的な男に「うざがられる女」、あれじゃあ浮気されるのも納得だし、振られるのも納得だ。かわいいのと従順なこと以外とりえがなければ、都合のいいだけの女なんだということを身をもって経験した。しかし、彼女はそこから成長した。と、なれば彼女も物語の表舞台に躍り出るわけだけれど、それを経験した彼女は今度はナナになつく。男が女に代わっただけでやっていることは同じじゃないか。あーまったくいらだたしい!と思ってしまう。おそらくこの後彼女も成長して行くのだろうけれど、この段階ではまだただの刺身のつまという感じだ。もちろん宮崎あおいはそのうざさと存在感の薄さをうまく演じている。続編ではキャスト変更があるということだが、彼女が成長して行くなら演じやすくなるだろうから問題はなさそうに思う。
でもやはりこれは続編あっての映画である。これを見て何かということはない。「ああ、青春だな〜」とおじさん臭いことをつぶやきながら、だからどうしたとも思ったりする。原作までは読まないけれど、続編が出たらなんとなく気になってDVDを借りてしまう。そんな感じの映画だ。
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