| ウディ・アレンは多彩な才能を持ち、様々な作品を世に送り出している。だから、「ウディ・アレンの映画とは」といわれて説明するのは非常に難しいわけだが、全ての映画に共通することをあげるだけならたやすい。それは「あくの強さ」である。
ウディ・アレンの映画ヵらは常に“苦々しさ”が滲み出している。コメディであろうと、スタイリッシュな恋愛ものであろうと、そのすっきりとした映像の裏には常にあくの強いウディ・アレンがいて、そこから苦々しい何かが滲み出してくるのである。
この作品も、表面的にはSFコメディという形を取り、バスター・キートンを模倣してベタなギャグで笑いをとるのだが、しかしやはりどこか苦い。その苦さは明確な形では表れない。ウディ・アレン演じる主人公の煮え切らない態度とか(彼はいつでも煮え切らない。煮え切らないことこそがインテリであることの証明であるかのように煮え切らない態度をとり続ける)、トロツキーやニクソンについてのふざけた解釈とか、そのようなものの裏に隠されて、しかし堂々と存在しているのだ。
そしてこのあくの強さは人を選ぶものである。このあくの強さに馴染めない人はシンプルな笑いの部分にはついていけても、どこか居心地が悪いという感覚を覚えるに違いない。なんかおもしろいようなおもしろくないような感じをこの作品から受けるに違いないのである。
あくの強いものほどあくを丁寧に取ればうまみが増すように、ウディ・アレンの作品もこのあくとうまく付き合うことができれば、その下からはおもしろさが出てくるはずだ。しかし、この作品はかなり初期の作品であり、そのあくもかなり強烈。そうとうにウディ・アレン慣れした人でなければ深く味わうことは出来なそうだ。
この作品の数年後には『アニー・ホール』『インテリア』『マンハッタン』という作品を生み出し、かなりあくが抜けるのだが…
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